_VTuber革命_04

【考察】VTuberとは何か?-キャラクター3.0【三歩未知】

皆さんこんばんは。
 三歩歩けば未知の世界、設定迷子の三歩未知です。

 今回は2月9日に生配信で話した「そもそもVTuberとは何か?」のお話を、精査してまとめたnoteとなっています。
 全体の構成としては①「キャラクターコンテンツとしてのVTuber」②「自己実現としてのVTuber」の2つの視点のお話となります。
 ぜひ最後までお付き合いください♪

■VTuberという新たなキャラクターコンテンツ

キャラクター1.0
隔離性のキャラクターコンテンツ

 これまでのマンガやアニメ、ゲームに見られたキャラクターは、現実や私たちとは切り離された”彼らの世界”に生き、こちら側とその向こう側とで隔離されたコンテンツだった。
 それはつまり、キャラクターらが自立的に私たちに呼びかけてくるようなことはなく、彼らと関係性を築くことは出来ないということである。また、彼らは彼らの世界で違う時間を生きていて、私たちの世界に実在せずそこに参加することはできなかった。
 キャラクター1.0は隔離性のキャラクターであった。

キャラクター2.0-α
関係性のキャラクターコンテンツ

 そういったキャラクター1.0に対し、「アイドルマスター」や「艦隊これくしょん」は関係性のキャラクターコンテンツだった。これらのコンテンツでは、プレイヤーには「プロデューサー」や「提督」のように、一定の立場かつ呼称が与えられる。これによってキャラクターらは、統一された代名詞で、自立的に自然にプレイヤーに呼びかけてくれるようになり、擬似的に関係性を築くことができた。果たしてこれらのコンテンツは実際に多大な人気を博した。

 これまでのキャラクターコンテンツにおいては、手段としては二次創作によって自己投影可能なオリジナルキャラクターを登場させることで疑似的に関係性を築くことは可能ではあったかもしれない。だがそこにはキャラクターに自立性はなく、振る舞いは創作に依存するというメタ視点を半強制的に自覚させる面があり、純粋な没入感を妨げた。そのため、これは広く見られる表現手法にはなり得てないように思える。

 一方、キャラクター1.0と2.0の中間にギャルゲーや乙女ゲーが上げられる。これらはキャラクター2.0と同様に関係性を築くコンテンツであった。違いとしては、プレイヤーを特定する呼称で呼びかける仕掛けを作るのが難しいという点である。キャラクターは多種多様であるため統一性のある代名詞がなく、そもそも名前があるのに呼んでくれないというのが大きなフラストレーションとなっている。その意味で『ときめきメモリアル2』のEVS(エモーショナルボイスシステム)は画期的だった。また、文脈は少し異なるが『君と彼女と彼女の恋。』ではメタ視点に立つヒロインが画面の向こうからプレイヤー自身に呼びかけるという仕掛けが用意されている。これは本作をプレイしたプレイヤーに大きな衝撃を与え話題となった。

 キャラクターが呼びかけてくれるということ。関係性を築けるというのは潜在的な需要といえるのかもしれない。

キャラクター2.0-β
実在性のキャラクターコンテンツ

 初音ミクないしボーカロイドも、キャラクター1.0にはなかった性質を持っていた。先のような文脈でボーカロイドを考えると、ソフトを使って「歌わせる/喋らせる」という点では、キャラクター1.0の二次創作と同様でキャラクターが自立的に呼びかけてくれるようなものではない。
 しかし、ボーカロイドについてはその在り方がこれまでのキャラクターとは明確に違った。初音ミクやボーカロイドは明らかに"私たちの世界"のバーチャルシンガーであり、彼女の歴史を振り返るとすると、それは現実の歴史を振り返ることと同義である。これまでの"彼らの世界"で生き彼らの歴史を持っていたキャラクターたちと違い、ボーカロイドの歩みは私たちの青春であり私たちのドラマであった。こうした実在するストーリーを演出する彼女は、キャラクター2.0において実在性のキャラクターコンテンツであった。

キャラクター3.0
「関係性」と「実在性」のハイブリット型キャラクターコンテンツ

 VTuberという新たなキャラクター表現は、これまでのキャラクターコンテンツの文脈において、アイドルマスターなどに見られた「関係性」とボーカロイド初音ミクらの「実在性」の両方の性質を兼ね備えたハイブリット型の新たなキャラクターコンテンツである。
 VTuberは多くの場合で画面越しのリスナーを意識し、時に呼びかけてくる。また、VTuberによってはファンネームが決まっていることも少なくない。統一的な愛着のある代名詞を通じてリスナーとVTuberは互いに呼び呼ばれる関係性を築くことができる。実在性については言わずもがな、動画や生配信、日々のTwitterなどの活動を通して時間を共有することができる。
 既存のキャラクターコンテンツはこのキャラクター3.0にアップデートすることが可能であり、「VTuber可憐(シスタープリンセス)」や「ハローキティ」などが例として上げられる。

■自己実現の新たなフェーズ

 VTuberとは、自己実現の新たなフェーズである。

 ITの発展とそれによるエンパワーメントされる個人という文脈において、VTuberという在り方は、現実の身体性から人格を切り離し、3Dや2Dといったアバターやボイスチェンジャーによって身体性を再構築・再選択するといった、これまで切り離し不可能だった生得的コンプレックスからの解放を体現する、自己表現・自己実現の新たなスタイルである。

 ITの発展によるエンパワーメントされる個人の文脈はこれまでに以下の通り整理できる。
 「技術」はツールという形にパッケージ化され、僅かなコストでハイクオリティなコンテンツが制作可能になった。
 「情報」と「メディア」は民主化され、検索エンジンによってあらゆる情報にアクセスが可能となり、SNSやYouTubeを通じて情報発信は誰もが広く行えるようになった。
 「コミュニティ」は島宇宙化と呼ばれ、地理的な制約に囚われずにネットを介して気の合う個々人が容易に繋がれるようになった。
 そして「身体性」は電子化され、モーションキャプチャーやボイスチェンジャーによって現実の動きや声は数値的に変換可能なものとなった。

 ITの発展によってさまざまな要素がソフト化され、シェアウェア化され、それによって自己と環境の構成要素は誰もが容易に自由にカスタマイズ可能なものとなっている。それはつまり、あらゆる生得的・後継的・後発的・構造的な要因から来るハンディキャップ、可能性の制約・格差はほとんどなく、誰もがなりたい自分になれる可能性に満ち溢れているということだ。

(※まあなりたいものが見つけられるかは別の話ですが)

 ITの発展と個人のエンパワーメントという文脈にとって、VTuberが示したアバター文化の「身体性の電子化」は現時点で最も新しいトピックだと思われる。現状の普及レベルを考えると、VRハードウェアのモバイル化や低コスト化、VRコンテンツの高品質化や量産といった課題が今後は想定される。逆に言えば、VTuberないしアバター文化とVRの過渡期はこれからであり、今後も発展が期待されるだろう。
 特にVRについては、"「距離」のゼロ化"という文脈も想定できるため、利便性という側面からの再評価の流れにも期待したい。


 3POMICHI PROJECTでは、未知と未来に一歩を踏み出すきっかけになる情報発信をこれからもお届けしていきたいと思います。

 それではまた、次の散歩道で会いましょう。またね。

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