「愛」とは
私は子どもの頃から「親に愛されていない」と感じていた。
中学・高校生の頃は、伝道師という言葉の意味を間違ったまま「私は愛の伝道師!」とか言いながら、「みんなもっと家族の愛を大事にして。家族の間にちゃんと愛があるということがどれだけ幸せで素晴らしくてかけがえのないことなのか理解して」とクラスメイトに言っていた。
私は愛されていない自覚があったから、愛されている子達にその素晴らしさをちゃんと理解してほしかった。「当たり前」と思わずに。
みんながちゃんと愛されていることについて、嫉妬はまったく無かった。羨ましかったり、「みんなが当たり前に持っているものが自分には無い」という欠落感のようなものはあったけど、それだけだった。
大学生の頃、「愛って何なんだろう」と考えて、大学の図書館で「愛」について書かれた本を探した。それらしい本を読んでみたけど、よくわからなかった。
34歳になった今、「愛」についてこう思う。
"「愛」とは、自分と相手が同時に幸せになることを諦めないこと・その姿勢"だと。
家族愛でも、恋愛でも、友人を大切に思う気持ちも、自然を大事にしたいという気持ちも、食べるものに感謝する気持ちも、愛する仕事をする時の気持ちも、全部そう。
「一方が幸せになるためには、もう一方は犠牲にならないといけない」という考え方になったら、もうそこに愛はないと思う。
自ら犠牲になろうとする方も、相手を犠牲にしようとする方も、どちらももう愛を失っている。
「愛」は、諦めないこと。
自分と相手が同時に幸せになる方法がなかなか見つからなくても、見つかるまで諦めず、「そんな方法は無い」なんてわかったようなことを言って逃げ出さず、本気でその方法を探し続ける。試行錯誤し続ける。これが「愛がある」ということ。