豆腐の食べかた
現在の自分に向き合うことに飽き飽きしたので、新しい本を4冊買った。
そのうちの一冊、「フジモトマサルの仕事」を読んだら、いよいよフジモトマサルさんが亡くなったことを実感してしまった。この5年間、ぼんやりさせたままでいたことが現実となった。悲しい。
でも、この本には、正式な蒸し豆腐のレシピが載っていた。嬉しい。豆腐は蒸して食べるのが一番おいしい。
高校の図書室で、フジモトマサルさんの絵本に出会ってから20年以上、ずっと好きなのでこれからも好きだろう。
あの図書室で出会ったフジモトマサルさんも、ナンシー関も誰も彼も、もうこの世にはいないけど、本は形としても心の中にもずっと残るからすごいなぁ。
数学のテストが8点で学年最下位だった日も、サッカーの試合に負けてグラウンドに倒れ込んだ日も、被服の課題のデザインが決まらず困った日も、必ず図書室に寄ってぼんやり過ごした。その日の反省などはせず、棚をなぞっては面白い本や人をたくさん知った。
わたし以外誰も読まない週刊朝日が書棚に並ぶ日は、皮張りの椅子に陣取ってじっくり読んだ。まるで自室のように優雅に過ごすわたしに、古典の先生が「あなた、テスト前だっていうのに余裕ね」と言った。
そう、あの頃のわたしは余裕だった。未来なんてひとつも見ていなくて、毎日その日が楽しいだけだった。
フジモトマサルさんの絵や本は、余白がある。その余白はとても緻密なようで自由だ。それはわたしの憧れで、理想みたいなところもある。だから、大好きなんだ。
「フジモトマサルの仕事」を読んで、誤算だったのは、読み終わるまでは実感しないと思っていたフジモトマサルさんの不在を冒頭から感じてしまったこと。いきなり村上春樹がデデーンと登場して、なんていうか、そりゃないぜ!と思った。村上春樹は悪くないんだけど。
どうでもいいけど、フジモトマサルさんには敬称を付けるのに、村上春樹は呼び捨てになることき気がついた。ごめんね村上春樹。