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不況後の未来感が漂う映画「人情紙風船」
「人情紙風船」って、どんな映画?
年代:1937年
分野:江戸時代の舞台劇を土台とした人情悲劇
撮影:白黒
時間:1時間26分
物語をひとことで言うと
江戸、ある貧乏長屋には侍から町人が雑多に暮らす。住人である侍の自死、商家をめぐる事件を背景にした庶民の悲劇物語。
江戸時代の下町。ある貧乏長屋には町人のほか、落ちぶれた侍も暮らしていた。一人の侍の自死という暗い空気が長屋一帯に漂うが、その悲劇を町人は能天気なバカ騒ぎに変えてしまう。長屋に住む別の侍夫婦は、奥方の内職、紙風船作りで細々と暮らしている。
様々な人間が棲息する長屋。髪結いの新三は闇博打を仕切り、地場の親分を怒らせている。その親分が用心棒を努める商家の一人娘は武家に嫁ぐ予定。そんなある日、娘を巡り長屋を巻き込んだ事件が起きる。
不況と戦争の時代を色濃く反映
とても暗い映画だ。第二次世界大戦の迫る暗い世相を反映しているように心底暗く不況感が漂い逃げ場がない。今の日本の庶民の閉塞感にとてもマッチする。
江戸時代が背景だが人ごととして見ていられない。公開当時の人も自分に置き換えて見たかもしれないし、それを狙ったようにも見える。
今の時代に置き換える要素は揃っている。主役は落ちぶれた侍なのだが、失業したサラリーマン、失職した公務員として見ると迫力がある。
リーマンショック後の日本の庶民は疲弊し切っている。この疲弊感は公務員にも及ぶ。GDPが落ちれば公共事業も影響を受ける。民間への業務委託、PFIなどで上層部を除き公職という聖域は劇的に減少しつつある。自治体統合も進んだ。戦乱が起こればどうなるか?
あの侍は自分だ。家族だ。子供だ。親戚だ。そう思って見ると、この作品はとても恐ろしい。
前進座の豪華な出演者たち
この作品には<前進座総出演>とテロップが出る。<前進座>とは何かを少し示しておきたい。
下記は、前進座が昭和38年に行った「平家物語」他の公演パンフレットの一部。出演者が下部に並んでおり「人情紙風船」の出演者とかなりかぶっている事が確認できる。このパンフレットは親の遺品で私が見た訳ではない。
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この公演時点で、前進座は1931年の設立から31年を経ており、2021年で結成90周年を迎え今も健在の老舗劇団。もともとは松竹傘下だった役者の一部が独立したものだった。
「人情紙風船」(※)には後に加東大介(※)と名乗る映画俳優、黒澤明作品にも登場する役者が出演しているのだが、この時の芸名は歌舞伎役者の市川莚司である。
侍夫婦については、侍が河原崎長十郎、その奥方を演じるのが山岸しづ江なのだが、この二人は実生活でも夫婦。上のパンフレットで山岸しづ江は河原崎しづ江と記載されている。
「人情紙風船」の成り立ち
この作品の大元になった物語は江戸の実話が起源。しかし、映画「人情紙風船」の筋(貧乏侍の視点)は、元の物語とはかなり異なる。元の話の背景となった事件の中心には侍はいない。
実際に起こったのは、商家の娘(白子屋お熊)が恋心から大罪を犯し死罪になった事件。商家の娘が、本来結婚すべき相手と異なる男と恋愛という部分は「人情紙風船」も同じだが、それを背景としながら映画は全く別のものにスポットライトを当てている。
映画は、なぜ侍の視点になったのか?
私の推測だが、 「人情紙風船」には先ほど書いたように、昭和初期の不況と戦争が本格化する時代感を取り入れていると思う。監督の山中貞雄は日中戦争に召集されるのだが、自らに忍び寄る暗い運命を予期したような重さがある。
当時の、不況感をより明確に描いた映画としては1929年の「大学は出たけれど」がある。戦争の気配からか、小説では「西部戦線異状なし」「武器よさらば」が出版されている。
世界恐慌が起こった1929年から8年後の「人情紙風船」。映画完成後に山中貞雄は召集され、翌年1938年に中国で戦病死。その1年後には第二次世界大戦勃発。2008年のリーマンショックを起点とすると、今はどんなステージなんだろうか?
「人情紙風船」は失業したサラリーマンを浪人中の侍に見立て、不況の影響を受けず好き勝手に暮らしている商家と武家を別世界(上級国民)として描き、そこに両者が巻き込まれる事件を戦争のイメージで配置したようにも見える。
被害は上層部には及ばない
いつの時代も被害を受けるのは庶民と失業者。 商家と武家 は「たった50両」で事件を解決できたと喜ぶ。1両の現在価値は簡単には言えないが、日銀の資料から換算するとおおよそ6万円から30万円の幅があるとして、50両は300万円から1500万円相当。
50両を大した金額でないと言う者と1両で死んでしまう者。この作品は庶民感覚とかけ離れた汚れた世界の存在をあぶり出している気がする。流れていく紙風船だけが、資産も運もない、底辺の人間の生きた証として表現される。今見ると、経済バブルという破裂寸前の風船も頭に浮かぶ。
山中貞雄の描く夫婦像
山中貞雄には「百万両の壺」という作品がある。この作品も侍が主役なのだが、「人情紙風船」と似たような夫婦の会話が出てくる。両方の家庭の状況は全く違うのだが、奥方が旦那である侍に何らかの成果を求め、旦那がそのために渋々外出を迫られる。
いずれの侍も、自力で活躍できる能力を持っていないところも共通で、縁故に頼ったり、現実逃避したりする所もそっくり。 「人情紙風船」 は悲劇、「百万両の壺」は喜劇的であるが、いずれも不遇な侍が中心にいる。
一方は悲劇に埋没し、もう片方は悲劇を喜劇に変え悠然としている。侍夫婦が中心にいる点を除き、この二作品の色合いが全く異なるものとなっているのが興味深い。
主人公の運命を決めた雨
「人情紙風船」の主人公たちの運命が一転するのが夜祭の雨。もし、その時に雨が降らなかったら事件は起こっていないかも知れない。
雨が全ての悪を一気に集約。祭りの日、長屋の町人が「雨が降らないと良いけど」と話す場面がある。将来に対するぼんやりとした不安はインテリだけではなく庶民の肌感覚にもあって予感は的中する。
暗転となる場面はとにかく暗い。この作品では各所に水の気配がある。水が流れていく未来が怖い作品だ。
キャスト、監督、スタッフ、制作会社など
キャスト
出演:河原崎長十郎、中村鶴茂、中村雁右衛門、加東大介、山岸静江
前進座総出演とクレジットされている
監督、スタッフ
監督:山中貞雄
制作会社、配給会社
制作:PCL映画製作所
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