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独り旅のポケットに、音楽を忍ばせて

ふらりと旅行に出かけ、ローカル線や路線バスに乗ってぼんやりする時間が好きだ。古い車両の軋むような乗り心地とどこか懐かしい匂い、電波の入らない区間で読む文庫本、参考書を開く高校生。そうして独り旅で乗り物に揺られていると、何かどうしようもなく寄る辺ない気持ちになってくる瞬間がある。たとえば初秋の夕暮れ、奥羽線にてマジックアワーの訪れに行き遭うとき。冬の早朝、冷たい空気に肺が洗われ、低彩度の日本海を車窓から望むとき。夜、都市部から山中へと向かうバスにて周りの明かりが少しずつ消えてゆき、車内からも人は減り、世界に自分しか存在しないような錯覚に陥ったとき。そんなとき、僕は音楽を聴く。音楽は、行き場のない感情を否定も肯定もせず、「ただそこにあるもの」として包括してくれるような優しさがある。旅行中とりわけよく聴くのは、バンド・くるりの楽曲だ。公共交通を利用した旅行のBGMとして聴くと不思議と心地がいいのだが、くるりの音楽の「優しさ」は感情を処理するとき心にかかる負荷を軽減してくれるような気がする。今日は、僕が旅行中に聴きたくなるくるりの楽曲を紹介しようと思う。
(くるりの詳細については以下の公式ホームページを参照されたし)


1. 歌詞にフォーカスして

ロックンロール

初春、特に3月末くらいのまだ空気が冷たいが陽射しは少し暖かいよく晴れた日に似合う曲。サウンドがあたたかみがありながら柔らかく爽やかで、青空を思わせるものがある。

進めビートはゆっくり刻む
足早にならず確かめながら
涙を流すことだけ不安になるよ
この気持ちが止まらないように
それでも君は笑い続ける
何事も無かった様な顔して
僕はただそれを受け止めて いつか
止めた時間を元に戻すよ
裸足のままでゆく 何も見えなくなる
振り返ることなく 天国のドア叩く

これは僕の勝手な解釈だが、もしかしてビートを刻む様を「君」と歩む時間の歩調を合わせることに擬えていて、「ロックンロール」は誰かと生きる人生そのものを指しているんじゃないだろうか。そして「天国のドア叩く」というフレーズも相まって、聴いているとなんだか死後の世界の光に想いを馳せて身体がサウンドに溶けてゆくような感覚を覚える。
そしてこれはくるりの歌詞全般に言えることだが、ごく易しい語彙でシンプルなことしか歌っていないのだ。

たった一かけらの勇気があれば
ほんとうのやさしさがあれば
あなたを思う本当の心があれば
僕はすべてを失えるんだ

これだけ平易な言葉でこんなに愛する人への気持ちを過不足なく表した歌詞が他にあるだろうか? この曲は是非独り旅の中で大切な人が今何をしているのか想像しながら聴いてほしい。春の瀬戸内の海を眺める路線なんかがよく似合うんじゃないだろうか。

ソングライン

東海道新幹線に乗るときは絶対聴く一曲。歌詞にのぞみが登場するのだが、ビールを飲みながら車窓を眺める描写が素晴らしい。

雲の切れ間 中途半端な雨を
のぞむ虹と ビルに映る白いボディ
外は 雨の 草いきれのグラウンドで
走る 少年の
帽子を飛ばす風

心の天気模様が雲と小雨でも僅かに虹は差していて、ビル街という仕事(≒大人の自分)の象徴と野球少年という子ども時代の象徴の対比。大人になるにつれて憂鬱なことが増えるけれど、たとえば出張のための新幹線でビールを飲むような楽しみもある。それを暗喩だけで表していると僕は捉えた。
そして2番のサビは打って変わって直接的でヘビーなものだ。

色んなことを 中途半端なことを
考えて 消えてく 幸せのアイディアも
所詮 君は 独りぼっちじゃないでしょう
生きて 死ねば それで終わりじゃないでしょう

大人になると日々に忙殺されて、幸せのアイディアもビールの泡のように儚く消えてしまう。だんだんと守るべきものもしがらみも増え、自分独りだけの人生ではなくなってくる。「生きて死ねばそれで終わり」ではなく、自分の命と周りの人々の命は連関しており、人々の記憶の中でも自分は生きているのだ。旅先にて、「自分がいなくても世界は回るんじゃないか」という寂寥感に襲われたときに聴いてほしい。

男の子と女の子

秋の小春日和に聴きたい曲。僕がくるりの中でも特に好きな曲なのだが、とにかく歌詞が素晴らしく、ボーカルの岸田繁のあたたかい声が包み込むように言葉を届けてくれる。僕たちは子どもの頃はなんでも叶えられる気がしていてもだんだん大人になって自分が全能ではないことを知る。当然昔のような「男の子と女の子」ではいられない。けれど、そんな原初的な慈しみを忘れずに愛し合おうという、人生に諦念を覚えながらも生きてゆく姿勢が感じられる曲だ。

僕達はみんなだんだん齢をとる
死にたくないなと考えたりもする
愛する人よ もうすぐ気付くだろう
僕のやさしさもだんだん齢をとる

大人になった女の子
僕をどこまでも愛してくれよ
何ももて余さないで
好きだという気持ちだけで 何も食べなくていいくらい
愛しい顔を見せてくれよ

「好きだという気持ちだけで何も食べなくていいくらい」って、すごいフレーズだ。愛が生命維持の根幹である食事に成り代わるという想いの強さと同時に、あくまで「くらい」だからそれは不可能だと理解している切なさがある。初秋に北海道を旅行したときこの曲を根室本線の代行バスで聴いていたのだが、ちょうど車内に部活帰りの高校生らしき男女がいて、彼らは交互に膝枕をし合うなどしていた。僕は思わず、彼らもそんな風にずっと愛し合ってほしいなと思ってしまった。そんなやさしい気持ちになれる曲だ。

2. バスに乗りたくなる曲

フロントマンの岸田繁が鉄道ファンであることもあってか、くるりの楽曲にはしばしば鉄道が登場するのだが、バスが登場する曲も多い。この項目では、聴くとバスに乗りたくなる曲をご紹介しよう。

京都の大学生

左京区の喫茶店でデートするカップル。お嬢さんが別れを切り出し、京都市バス206号系統に乗って去るラスト。使ったバス停は百万遍かな? などと想像するのが楽しい一曲。

ジュビリー

そう 行かなくちゃ
このバスに乗れば 間に合うはず
外はまだまだ灰色の空
くすんだ窓に指で描いた花びら

この曲の主人公はどこを目指しているんだろう? 歌い出しから想像を掻き立てられる。高速バスや夜行バスではなさそうだからそこまで遠くへは行かないだろうし、新たな自分を見つける小冒険だろうか。空は灰色で窓もくすんでいるけれど、花びらを描くという芽吹きの象徴が見られる。

旅の途中

春のお散歩にぴったりな軽やかな曲。聴くだけでスキップしたくなってしまう。バスを待つ恋人たちの何気ないおでかけを歌っているのだが、見知らぬ行き先に微笑む恋人を見つめる幸せが伝わってくる。

最後に

くるりは本当に素晴らしいバンドで、紹介したい曲はまだまだあるのだが、今回はこれくらいに留めておこう。冒頭でも書いたように音楽には感情を包み込んでくれるような優しさがあり、聴く人にとって触媒として作用すると僕は思っている。独り旅をしていると自分の内面と対話する場面が多いが、そんなとき音楽を聴くとそれを媒介として言葉で自身の感情を確認しやすい気がするのだ。そして、独り旅の醍醐味はなんと言ってもナルシズムにある。夜のローカル線で人が少なくなってゆく中、遠くなった街の灯りを眺めながらわざわざ苦しい記憶を引っ張り出してきてナルシスティックな甘い痛みに浸るような、そんな時間が僕は好きだ。そんなとき聴く音楽はあたたかく寄り添ってくれるものが望ましい。くるりの音楽にはそんな魅力があるのだ。有名な曲を中心に紹介したので知っている人も多いかもしれないが、公共交通での旅を好む人々には是非聴いてほしい。そう、行かなくちゃ。

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