書けることが嬉しい。楽しい。めちゃめちゃ久しぶりに『note』に書いて気づいた。
めちゃめちゃ久しぶりに書く。書くのはいつぶりだろ、、と確認してみると、1年ぶりだと驚く(その1年前も「書く」というより、つぶやくみたいなものだった)。その前も間があいていたし、本当に久しぶりだ。。
これまで、noteを開いてこなかった訳じゃない。読み手として、楽しんだり、共感したり、考えさせられたり、勇気をもらったり、、たくさん感情を動かしてもらっています。皆さん、いつもありがとうございます。
様々な投稿を見て私も!と触発され、この出来事や考えについてまとめてみようと決め、タイトルを考え、あれこれ何行分かの文章も考えた。だけど、いつもそこで止まった。下書きには、いくつもまとめきれなかった記事が溜まっている。
「書きたい」けど、「まとめる」ことが難しかった。自分だけが読むんじゃない、人目に触れるのだから、読みやすい文章であるか?言葉の使い方は間違っていないか?といったことを強く気にしていた。
その部分はとても大切だと考えている。けれど、「人に正しく伝える」ことよりも「間違って伝わる怖さ」の感情が勝ってしまっていた。
いや、なんだろう、「間違って伝わる」のも怖いのだけど、もっとこう、書く上で、投稿する上でのルール分かってる?というような間違いが、自分にとっては怖かった。"こんなことも分かってないんだ"と思われるのが怖かったのだと思う。
怖さ故に動けなくなってしまったような…そんな感覚。だから、溜まった書きかけの下書きは、へこたれた自分を可視化したみたいだなと思う。意気揚々と書きはじめて、あれ?これで大丈夫かな…?と気にし出して、結局自分はだめだーと凹んだ、その結果。
そんなに悩んでいるのなら、もう読み手として『note』と接していけばいいじゃん!と、言われるかもしれない。その通りだなと思う。自分でもツッコんだ。それでも、こんなガチガチな自分でも、細々したことでもいい、なんか発信してみたいなと思っているから、凹んでしまうけど、書きたいという感情の波はやってきてくれる。
そして、ここ最近もその波が来て、でも…と凹みかけて悩んでいた中、金曜日の深夜3時、唐突に、"もうそのまんまでいい、とにかく書いてみるんだ"と、怖さやまとめられないことに悩みすぎた頭がポンと投げやり気味の答えを吐き出した。
その感情にめちゃめちゃに背中を突かれて、とにかく今のドロドロした抱えているものをぶつけようと思った。
深夜3時、唐突な興奮状態で、まとまらないまま書きはじめた。しばらく書いて、さすがに眠気が襲ってきて寝て起きた。冷静になったけれど、熱は冷めてなかった。
あーでもない、こーでもないと唸りながらこの内容を書いている。唸っているのは、気にしている"ちゃんと書けてる?"の「まとめる」部分だけど、"人にどう思われるのか"の部分は影を潜めてる。
書いていくうちに気づいたのは、書けている、そのことが純粋に嬉しかった。そして、楽しい。唸っている時間も、楽しい。
久しぶりにnoteに書くけど、書けてよかった。改めて、書けるってすごいことだと思った。
書く楽しさという感覚を、少しでも取り戻すことが出来たように思う。これから、自分の書くハードルをちょっと下げて、まずは書くことを楽しんでいこうと思う。そうして、少しずつ少しずつ、自分の伝えたいことを、整理して、まとめていこうと思う。