夏鬱。
何を書こうか。
まずはそこから始まった。ここから紡がれる言葉は、その場その場で思いついた言葉である。
ここ最近、自分の時間が増えた。
時間が有り余るほどある。
そうだ、朝活をしよう。1週間ほどで体調を崩してから断念。明日からでもしたいと思いながらできない毎日。
そうだ、ウィンドウショッピングに出かけよう。
外は暑い。私は暑いのが本当にダメで、皆んなが使う「鬱になるわぁ」じゃなく病的な意味での「鬱」になる。
最近気持ちが落ちてきた。双極あるあるだ。
夏が私は鬱になりがちなことはもともと気が付いていた。
今後の地球温暖化が心から心身を不安にさせるが一旦話を置いておこう。
鬱になりかけても、数時間LINEを返さないと電話がかかってくる彼氏さんがいる。もう双極に振り回されるなと言う家族がいる。
鬱も躁もなりたくてなってるわけじゃないけど、ならせて欲しい。
ならざるを得ない楽しかったりしんどかったりする状態なのに、それを阻害されるのは息苦しい。ありのままの自分で居させて欲しい。死にたいと思う時は思わせて欲しい。
何かをしたいと思った時はさせて欲しい。
金銭的に何もできなくて暇になって鬱になるのだけれど。
今は生活保護並みの人生を送っている。
人と会いまくりたい。服を買いたい。出かけたい。
なのにできない苦しさ。
カレンダーを見ると今月は何もない日が沢山。
私は鬱になると過食に走る。
1週間で2キロも増えた。
でも、人と会うと元気になる。
なっているのか分からない。元気にならざるを得ない状況になっているのかもしれない。自分の波の周期が分からない。
人が元気に何かをしてることを報告されると羨ましく思う。
人が鬱になってるところを見ると気持ちが沈む。
自分には軸がないような気がしてきた。
フラフラフラフラ行ったり来たり色んな感情の波に押し寄せられてるイメージ。
好きに生きさせて。好きに死なせて。
仕事が決まって良かったね、と言われるけど、社会に出られる自信もない。
クローズで働いて、ADHDとASDのほぼ確のグレーゾーンで、元重度の拒食症で、世間で言う「しっかりとした」「平凡な」人生は歩んできていないから。
ネガティブな発言ばかりな気がするけど読み返さないで先に進もう。
人って、支え合って生きていくものだけれど、1番怖いものであると思う。
人の対応、態度一つ、言葉一つで関係は壊れてしまうし、新たな構築もされるから。
不安定で振り子のように行ったり来たりしながら「この人はこう言うところがダメだ」「この人はここができるんだな」と良し悪しを考えられ、自らも考える。
人間って、改めて複雑なんだなと思い知らされ、同時に面倒くさくなる。
そう、私の根底にあるのは「面倒くさい」なのだ。
掃除が面倒くさい、料理が面倒くさい、お風呂が面倒くさい、人間関係が面倒くさい、生きるのが面倒くさい…。
何故生きることに必死な人が居るのかよく分からない。
どこかの誰かの歌詞であった、お金と寿命を交換する制度があるのならば、私は喜んで交換しよう。
早く来世で新しい自分に生まれ変わりたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?