LUNGS
@グローブ座
「LUNGS」という舞台
現代戯曲で、10年ほど前にロンドンで初演され、今に至る作品。
LUNGSとは…肺、肺臓の意味をもつが、この舞台に込められた意味とは何なのだろうか。何故、このタイトルなのか…。これという答えは見つけられなかったかな。
円形の無機質なステージ
出演者は、ジャニーズWESTの神ちゃんと、奥山佳恵さんの2人。
客席に入って見えたのは、通常ステージとなる部分の前に置かれていた灰色の円形ステージ。淵は後ろに行くにつれて、少し高くなり、腰掛けることが出来る仕様。円形のステージには何もセットはなく、ただ少し重苦しく無機質な感じを醸し出していて、少し息の詰まるような空気。頑丈なのか、脆いのか…。それは分からないけど。きっとこの円形のステージで2人は演じていくのだろう。通常のステージで演じるわけではなく、なぜこの円形ステージなのか。初演からこういうスタイルなんだろうか。この重苦しく無機質な感じを和らげるために円形なのか…?それとも、重苦しさはこれからこの上で広げられるストーリーの伏線?そして、円形=曼荼羅。守られた、空間ってことなのか?ただ、どんなテーマの話なのか何も分からなくても、とても明るくて朗らかなストーリーでないことは何となく始まる前から、察した。
2人芝居だからこその一風変わったストーリーの始まり
2人芝居の舞台を見たのは初めて。するっと入ってきた二人…いや、ちょっと後ろの出入り口を素通りしてみたり…だったけけど。2人が舞台に立ち、お互いに深呼吸やストレッチ。そんな演出なのか、素なのか。お互いに、よしってなって、ストーリーが始まっていく。2人だからこそ、そういった一風変わった感じがある。スイッチが入って、円形のステージで、ストーリーが始まる。
2人の人物像と関係性
2人の設定は何なのだろうか。いきなりの痴話げんかのようなところから始まった。音楽を志す人と、博士課程の学生。っていうところから始まったように思う。まぁ、そこから察するに、女性は博士課程で研究しているのであれば、ストレートで入ったとしても25歳以上。だとすると、若者の危機的なところは少し超えたところだろうか。大学院で研究していると考えたら、修士課程を終えていて、その上の博士課程か、もしくは、修士課程を博士課程前期としているのか…。ただ言えることは、どっちにしろ、研究熱心という部分を考えたら、なぜ?どうして?と物事を理屈っぽく考えがちかもしれない。本当は至極簡単な事だとしても、それを難しく捉え考え過ぎてしまいがち。そしてよりややこしくもしがち。だからこその、そういった類の人物像。
一方の男性…神ちゃんは音楽を志す青年…。女性とは同い年位なのだろうか。それとも…少し年下なのだろうか。プロになりたいとがむしゃらだとして、音へのこだわりが強いものの、それ以外の事に対しては、おろそかになりがちな部分があるのかもしれない。夢を追ってある程度の年数が経っていそうな感じはあったかな。曖昧模糊なその夢が故に、どこか不確かなものではなく、ある程度確かな事を求めてしまうところもあるのだろうか。必死さもあれば、コンプレックスもある。がむしゃらだからこそ悔しさもあるし、我慢もある。だからこそ、不誠実さが見えることもある。うまくいかない葛藤を抱えたりしがちというか…。
2人は恋人同士。おそらく。結婚はしていない。でも、子供が欲しい欲しくないの意見のぶつかり合い。女性は子供を望まず、男性が子供を望む。この世の中に、子供という存在を産み落とすことへの葛藤がある女性。結婚をすれば、子供という存在は望む方が多いんだろうと思う。それをプレッシャーに感じる女性もいるし、望むからこそ治療を受ける女性もいる。結婚し、なかなか子供が出来なかった夫婦とか、実際に治療を受けてる人を知っている。願ってもなかなか出来ない事への不安や焦りを目の当たりにしたこともあった。葛藤が2人のセリフの速さやセリフ量の多さで物語ってる気もした。
『正しい』というのはどういうことなのか。
何が正解なのか、何が間違いなのか、それはよくわからない。こんな世の中では子供を産み、育てても、子供が不幸になるだけだと思う人もいるかもしれない。子供を敢えて産まないという夫婦もいる。それは、健康であっても。それは、その夫婦の価値観による。結婚をして、子供を産んで、子供を育て、家族を作ることが唯一の正解と思う人がいるように、それは正解だと感じない人もいる。子供がいるから幸せ、子供がいないから不幸…それは正しいとは思えないけど、それを唯一正しいとしか考えられない人も世の中には存在しちゃう。そんなことはない。逆に、それだけが正しいとして、メリットは何だ?正しいって何だ?晩婚化が進み、一生涯独身を貫く人も増えてきている昨今に、『正しい』はきっと色々な答えがあって当然で、誰かがこれ!と決める必要は特にないと思う。まぁ、正直、子供欲しい~っていう感じは今のところない。ちょっと、苦手である。寧ろ、別に産まなくても良くない?結婚はいずれしたいけど、別に焦ってするもんじゃない。年齢的にも子供を産むことを考えたら…とか言われるけど、別に子供産む必要なくない?どうしてもって言うなら、産む選択肢一択じゃないと思っている。それを理解されなくても、特に問題はない。その価値観、持ってない人もいるよ。たとえ家族や近しい人でもさ。
自分が自分ではないような感覚と異物感
ストーリーのスピードはかなり速い。葛藤もありながら、妊娠をし、自分が自分でないような感覚を体験し、異物が自分の中に入り込んでいる…そんな感覚にもなり、それでも、子供を産むといいうことを全うしようとする最中に、流れてしまう。異物感ながらも、自分の中にいた存在を失うということはどういう事なのか、それは、きっと、そういった類の体験をしたことがある人でなければ分からない事だと思う。どんなに体験したことのない人が想像しても、きっとその想像ははるかに超えてしまうのだろうと思う。
離れてもまためぐり会うのは
色々な葛藤から、思いやっても思いが伝わらなかったり、すれ違ったりするのは当然あることで、切り替えられるほどの思いもあれば、それを持ったまま身動き出来ない人もいる。離れて、それでもまた会って…別の人がいても惹かれあう。元恋人との再会は、くすぐったく感じるのか、それとも、また思いが戻ってくるのか…。理解し合いたくて、自分の価値観を並べる。それを、理解してくれるだろうかと、いや、理解するのは難しいだろうなと思ってあきらめるか…。理解し合いたいと思う気持ちがきっと強かったんだと思う。それほどの人なら、きっとまた手を取り合えるんだなって。いや、もうそういう思考回路がなかったから、もう過去の人ではなく…それがお互いの気持ち。
一緒に生きる道の先、先に行くか、見送るか、どちらが幸せ?
再会して、恋人が片方に居たとして、それでも過去を掴む人はどのくらいいるんだろうか。ただ、そうして繋がれた手は、強くきつくあるかもしれない。手を取り合って進むということは、きっと二人が望んだ道なんだろうな。寄り添って、色々な感情を抱き、色々な経験をし、それを二人で分け合って。時にはぶつかり合って、時には思い合って、助け合って、寄り添う二人はきっとこの先もずっと一緒なんだろうなって感じた。二人の人生が進んでいって、長い年月を一緒に歩いていても、必ず別れはやってきて、同時になんて難しいから、だから、見送られる人と、見送られる人になる。先に行くのはきっと、日本で言えば女性の方が長生きだね。だから、先に行く男性を、女性の方が見送る。まぁ、どっちもどっち。おじいちゃんとおばあちゃんを思い出したよ。それを考えるとさ、すごいなって。どちらも、長く連れ添ってた。おじいちゃんとおばあちゃんになっても、寄り添えていることの偉大さはちょっとわかる。結構早くになくしたけど、おばあちゃんは、おじいちゃんをとても大事に思っていて、見送った後も、大好きだったんだなって、おばあちゃんと話していた時に感じたことがあった。その頃は、もう10年以上も見送ってから経っていたのにも関わらず。それをふと思い出した。人間らしいというか、そんな舞台だったよ。何か、色々と考えさせられるような、そんなストーリー。