夢がない子どもだった
「私って子どものころ、将来の夢ってなんて言ってたっけ?」と母に聞いたら「聞いたことない」と言われまして。なんかどっかに書いてるんじゃない?と幼少期のアルバムをめくってみたけれど、ない。どうやら私は夢がない子どもだったらしい。
両親は私に「大きくなったら何になりたい?」なんて聞いたこともなかったし、幼稚園でもそういうことを書く機会がほとんどなかったし、私が自らそういう発言をしたこともない、らしいのだ。
なんとなく七夕の短冊に「セーラームーンになりたい」と書いて「えー?」って母に言われた記憶がうっすらあるけれど、25年以上前の話なので確証もない。
私が思い出せる中で一番古い記憶をたどれば、小学校低学年のころに「ピアニストになりたい」と書いていた時期があったけれど、それは単純に「ピアノを習っていたから」であって、本気ではなかったと思います。というのも、私はピアノの練習があまり好きではなかったからです。ピアノを弾くのは好きだけど、弾けるようになるまで練習するという過程がどうしても好きにはなれなかった。練習しないと上手くなれないのにね。
小学校中学年のころはマンガ雑誌の『ちゃお』が流行って、お絵描きが一大ブームを巻き起こしていたこともあり、比較的絵を描くのが好きだった私も「漫画家になりたい」と言っていました。とはいえ、これも練習が足りなかったので、未だに首から下は描けません。
小学校の卒業文集には「ディズニーランドでイベントを企画する仕事がしたい」ということを書いていました。これはとてもよく覚えています。福岡に住んでいるので、ディズニーランドは片手で数えるほどしか行ったことがないけれど、当時の私はディズニーランドに夢中でした。ガイドブックを熟読し、テレビで特集があれば必ず見ていました。そして、いつかディズニーランドの近くに住むのだ、と信じて生きていました。結果的に中学2年生のときに家族旅行で行ったきり、16年間もディズニーランドに行っていない大人になりました。
今の私は会社員をしています。建設会社の事務職で経理を担当しています。これも強く希望していたというよりも、就活が上手くいかない中で運良く拾ってもらえたという感じでした。今年で入社8年目になりますが、この会社に入ってから建設業の魅力を知ることができたのはとても大きな学びになったと思っています。
そんな私ですが、今は「プロの写真家になる」という夢があります。この歳になって、初めて堂々と人に言える夢ができて、それに向かって努力をしています。子どものころは夢がなかったかもしれないけど、たくさん遠回りをして、ようやく自分の夢を見つけることができました。まあ、写真家というのは、何をもって「プロ」と言えるのか分かりませんが、私の撮った写真を通して世の中に楽しいことが起きたらいいな、と思っています。このへんについては、また今度詳しく書きます。
以上、このnoteは #note軸集会プロジェクト で決めたテーマ『子どものころの夢は何でしたか?また、今はどうなっていますか?』について書きました。
いただいたサポートで写真に関する講座代・フィルム代・現像代・機材代に充てたいと思います。私の「写真家になりたい」という夢を応援してくださる方がいらっしゃいましたら、サポートいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。