季節の博物誌 3 金木犀
秋のある日、路地を歩いていると、どこからか甘い香りがする。おや、と立ち止まり辺りを見渡すとやはり金木犀だった。誰かの家の庭の隅に目立たないように植えられている木に、オレンジ色のこじんまりとした花がひっそりと、しかしほんのり周囲を明るませて咲いている。その花の姿には香りに遅れて気付くことが多い。時には香りだけで花がどこにも見あたらない時がある。近くのどこかで咲いている奥ゆかしい姿を想像しながら歩くのは楽しい。
金木犀は庭木に多く用いられる常緑樹である。控えめで温和な印象の葉や木の外見が日本の家や庭に調和するせいもあるが、なんといっても人気の理由は花の香りであろう。
晴れて風のある日は、金木犀の香りは遠くへ流れていく。鰯雲の下で枝いっぱいに花をつけた木を見つけると、花が青空に映え、広がる香りが秋天を更に高くしていくようで気持ちがいい。反対に曇天の下、日暮れの道で感じる金木犀の香りは、湿り気のある空気の中を地に沈んできて、全身に染み入って来るようである。香りと音楽はどこかで共通点があると思うのだが、このときの金木犀の香りは、チェンバロのような古楽器が奏でる下降する旋律を思わせる。
香りに比べて金木犀の花はいかにも地味だ。しかし沢山の小さな花が枝の先に集まって咲く様子は、控えめな祭りのようなほのぼのとした華やぎがある。それに対して花の終わりの時期、小雨の降る道にオレンジ色の絨毯のように花たちが散り敷いているのは、しっとりと内省をもたらす光景である。
歩いているうちに日が暮れてしまい、家々に明かりが灯りはじめる。辺りが急によそよそしくなり、自分だけが異邦人めいて思えて来る時刻。そんな時、どこからか流れてくる金木犀の香りを古い友人のように感じる時がある。
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