季節の博物誌 7 夜の窓
冬が近づき、昼の時間が短くなってくるにつれて、自分が夜の明かりに敏感になっているのに気がつく。闇が怖いのが人間の本能なので、夜の長い季節に光を求めるのはごく自然なことだろう。しかし時として夜の明かりは思わぬ感情を呼び起こすことがある。
例えば夜の電車に揺られている時、車窓から知らない誰かの家や集合住宅の窓に明かりが灯っているのを見た瞬間、それがなんの変哲のない建物であっても、妙に心を引かれる。夜更けの高速バスに乗っている時、真っ暗に寝静まった雑居ビルのひとつの部屋だけが煌々と明かりが点いているのを見ると、なぜか気になってしまう。自分とは無関係の場所なのに、その窓は私に何かを訴えるように灯っているのである。まるで住人の感情や想いが明かりに滲んでいるかのように。
忘れられない窓の明かりがある、二十年ほど前によく通って、今はもうない名曲喫茶である。薄暗い店内の仄かな灯りの中で珈琲を飲み、音楽に耳を傾ける時間は、世の喧噪から隔絶された異次元の体験だった。店の窓には小さな電球が沢山点滅していて、その光が外の路地からも曇り硝子越しに見えた。路地に立ってその光景を見るたび、おとぎ話の世界に誘われるような気がしたものである。
子供の頃、ボール紙で家を作る遊びに熱中したことがある。家の中の灯りには豆電球を使った。出来たのは不格好な家だったが、暗闇で豆電球を灯すと、小さな窓から光がこぼれて、そこから空想が無限に広がっていって、わくわくした。今でもクリスマスの飾りなどで玩具の家に電灯が点いている光景を見ると、そこにまだ子供時代の感覚が残っているように思えて、懐かしい気持ちになる。
夜更けの部屋で一人考え事をしていると、考えが頭からあふれて、狭い部屋を満たしていくような気持ちになる時がある。家や部屋を住む人の心の入れ物と感じて、窓に明滅する灯りに住人の心の有り様を連想してしまうのは私だけだろうか。窓の明かりに引かれるのは、自分の心を外側から見てみたいという欲求の現れかもしれない。
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