藍坊主の話
aobozu TOUR 2024 OTOMOTO 〜みなぎるシルバー〜の福岡公演がいよいよ目前に迫ってきました。
ライブに参戦に当たって気持ちをセットアップする為にも、ここで藍坊主について語っていきたいと思います。
藍坊主とは
デビュー当時のパンクロック路線から徐々に藍坊主らしさを醸成させていったアルバム「ソーダ」、「ハナミドリ」を発表した2000年代前半。
音楽との真剣勝負とも言えるアルバム「フォレストーン」を経て藍坊主の1つの集大成とも言える名盤「ミズカネ」が産まれた2000年代後半。
2010年代に入ると、東日本大震災等の大震災を目の当たりして音楽の非力さに打ちのめされ、その後再び音楽の可能性を模索しながら作られた曲が詰まった「ノクティルカ」や「ココーノ」を生み出しました。
そして自主レーベルを立ち上げ再び藍坊主として誕生し直した彼等が作った原点回帰とも言える「LUNO」が誕生。
その後も精力的に活動を続け、映画監督の勝又悠さんとタッグを組み楽曲「群青」の世界観を映画化した「太陽の夜」を発表。
また、2017年からは「半月酒場」というお酒を飲みながら楽しむアコースティックライブを水族館やプラネタリウムといった様々なシチュエーションで開催するなど2010年代は挑戦に継ぐ挑戦の時期でした。
そして2020年代。
藍坊主は自主レーベルのインディーズバンドとしては異例なほどの早さでコロナ禍に対応していたように思えます。
各メンバーが自宅から同時に配信を行いセッションをしたり、ライブハウスを借り切って配信ライブを行うなど、音楽を届ける姿勢に勇気と希望を貰えたのを覚えています。
こうして振り返ってみると、約25年に渡る活動の中でその音楽性やパフォーマンスは常に変わり続けて来ました。
この変化し続けることこそが藍坊主の音楽性であり、私の心を掴んで離さない魅力なのかもしれません。
人は絶対変わっていくものです。
学生から社会人になって、新しい出会いがある一方で疎遠になる人も出てくる。
そうした変化は否応なく訪れるものですが、その度に何かを失うような、或いは自分が汚れていくように感じるのは私だけでは無いと思います。
そんな時、藍坊主は私達人間に訪れる変化を、良いものだと称揚するわけでも、必要として赦すわけでもなく、「そういうものだ」と受容してくれます。
変化し続ける藍坊主の音楽は、変わっていく自分や変わってしまった自分、をありのままの自分としてあるがままに肯定させてくれる。
そんな暖かさが藍坊主にはあります。
藍坊主の音について
先述の通り藍坊主の音楽は約25年という長い活動期間の中常に変わり続けてきました。その為音楽の特徴を一括りにしてこうだと言うことはとても難しいです。
ですがそんな中、一貫しているものもあります。
その一つが、耳に心地よく何度も聞いていたくなる優しくて力強い旋律です。
ボーカル、ギター、ベース、ドラム(あとサポートメンバーのツタさんのキーボード)の音がしっかり主張しあいながらお互いを活かすことで生まれる軽快だが軽薄ではなく重厚だが鈍重ではない、まるで高級料亭で出てくるだし巻き玉子のような絶妙なハーモニー。
この飽きの来ない定番感、王道感こそが藍坊主が産み出す音楽の特徴と言えるでしょう。
藍坊主の詞について
日本語ってこんな使い方が出来るんだ!?
藍坊主の歌詞に読む度にこんな感想を抱くほど、私は藍坊主の歌詞が好きで好きでしょうがないのです。
変に気取ったところもなければ押し付けがましさも無い。
痛みや悲しみを不自然に美化することも無い。
美化せずにあるがままをあるがままに肯定するような優しさと強さを感じとれます。
哲学的で本質的なテーマを持った歌詞が紡ぐ世界観を時には包み込むような優しい音色で、またある時は衝動的で疾走感溢れるメロディーで紡ぐ様は音楽に対してのみならず「生きること」に対してのスタンスが窺えてとても好感が持てます。
メロディーと歌詞が溶け合う珠玉のアルバム LUNO
この藍坊主の音楽性がストレートに出ているのが2016年に発売されたアルバムLUNOだと個人的には思います。
神秘的で壮大な宇宙の視点と身近で温もりを感じる日常の視点とを交錯させた歌詞は、人間をちっぽけだと認める一方で、そんな人間の日常が宇宙と同じくらい奇跡と魔法で彩られていると言うメッセージを率直に訴えかけてきます。
それでまた音が良いんですよ。
優しくて、力強くて、一切飾るところの無い率直な音が、歌詞により一層の説得力を持たせてくる。
本当に名盤です。
最後に
藍坊主の楽曲はSpotifyはじめ各種サブスクで好評配信中です。
まだ藍坊主の曲を聴いたことが無い方は是非一度聴いていただけると嬉しいです。