今年は誰かのサンタになろう🎄🎅
クリスマス🎄の25日の午前中は教会のミサに参加してきた。
ミサはお昼ぐらいで終わったので、午後は、息子の友達H君に会いに行くことにした。
このnoteにも時々登場しているH君は、元々は息子の友達である。
家に来ることもあったので、もちろんお互い知っているのだが、息子なしでも会ったり話をしたりするようになったのは、息子が日本(後にカナダ)に移ってからである。
息子は「ママが一人で心配だから」とH君に様子を見る様にお願いをしており、それから、時々メッセージをくれたり、様子を見に来てくれるようになったので、段々と親しくなっていったのだった。
H君は医学部を目指して勉強中だが、コロナで試験がキャンセルになったりしたため、高校卒業してから3年が経過していた。同級生や下級生が進学してキラキラした大学生活をSNSであげているのを複雑な思いで眺めながら、「今年を最後にする」と決めて勉強中なのだ。
そんな彼から2週間前ぐらい前にメッセージが来てチャットをしたのだが、どうやら随分弱っている様子だった。
どうしたのかを聞いてみると、
なんとお父さんが心臓発作で倒れたので、しばらく入院していたとの事。
(メッセージをくれた時は自宅に戻り療養中。)
回復したからこその自宅療養への切り替えではあったが、お父さんが心配で眠れないのだそうだ。
看病する側のH君が倒れてしまっては本末転倒なので、健康に障害が出る程ひどければ、医師に相談の上、睡眠薬(導入剤と言うのだろうか)も検討する様にと伝えた。
しかし、H君に起こったことはそれだけではなく、
数日前にはおじいちゃんが亡くなり、
(ここからは後から聞いたのだが)
彼女とも別れ
お姉さんともお互いをブロックするほどに深刻なケンカをして
さらに、試験のプレッシャーがのしかかってくる。
ドラマでもこんなに続くことあるか?と思うほどにたくさんだった。
そして一番辛いのは、H君の近しい友人がみんな遠くに住んでいる事だった。
前述した通り、H君と息子は非常に近しい友人で、今でも連絡を取り合っている。今はいつでもチャットやビデオコールはできるが、辛いことがあった時は、近しい友人に近くにいて欲しいのに、遠く離れている事で寂しさを募らせてしまっている様だった。
この日はできる限り話を聞き、「こっちに来る時は連絡してね。お父さんは自宅にいるけど、1、2時間だったら何とかなるから」と言われて、チャットを終えた。(注:私の家からH君の家までは、車で2時間ほどかかる)
ミサが終わった後に、電話してそっちに行ってもいいかと告げると「いいよ。」との返事。
直前まで行くかどうか迷っていたため、その時になって手ぶらであったことに気が付いた。
しまった!
12月はH君の誕生日だし、今日はクリスマスだ。
ちょっとしたものでいいから、プレゼントを用意したい。
ちょうどメトロの駅近くには大きな店もいくつかあったので、H&Mで手袋を買い、急ぎメトロに飛び乗った。
誰かに会って今までの事を話したい、聞いてもらいたい、と言う気持ちはだれにでもある。息子の代わりはできないけれども、会って話を聞くぐらいならできる。子供達にプレゼントをあげるサンタ役はもう終わったけど、必要とされているなら今日はサンタ🎅になろう。
待ち合わせの駅で降り、車で迎えにきてくれたH君に会う。
心配していたけれど、笑顔だった。ムリをしていたのかもしれないけど。
お昼も過ぎていてお腹が空いていたので、近くのマーケットまで連れて行ってもらい、一緒に軽めの昼食を食べることにした。(H君に好きに注文させたら、軽めの昼食では全然なかったのだが、笑)
ここは昨年通っていた予備校の近くだったらしく、元カノと一緒に過ごした思い出の場所でもあるそうだ。
励ますつもりできたが、ここで良かったのか・・・?
そう思いつつ、注文を済ませ、近況を聞いてみた。
状況は上に書いた通りだが、それ以外にも小さないさかいや問題はちょこちょこあったようで、よくもこれほどたくさんあるな、と、むしろ感心してしまうほどだった。私だったら気が狂ってしまいそうだ。
ここまで来ると、H君も達観していて、「自分がコントロールできない事はもうしょうがない。今、自分にできる事に集中しよう」と決めたらしく、朝8時~夜10時までは予備校の自習室を使って勉強し、朝晩はお父さんの薬を用意し、お母さんに看病のための指示をしたりしているらしい。(注:お母さんは読み書きが苦手、との事)
こうやって気持ちを切り替える事ができるなんて偉い。
さて、前述の通り、H君は医学部に入学するために勉強中だ。インドの医学部は5年制なので、浪人したこともあって、早く入学・卒業したい、と思っている。
本人の「早く浪人生活を終えたい」と言う希望もあるが、
「お父さんに心配をかけたくない。医者になった姿を見せて、自分の事を誇りに思って欲しい」と言う。
「だから、神様にお父さんが後5、6年は元気でいますように、ってお願いしたんだ」(H君は4人兄弟の末っ子なので、お父さんもそこそこ高齢)
「だけど、お父さんが発作起こして、心臓が止まった時、『5、6年なんて、何を言っていたんだ自分は。お父さんが死んでしまうのは今日かもしれないじゃないか!』って気づいたんだ。だから、今は看病以外はとにかく勉強するって決めているんだ。」
と、語っている。
そう。人間の生死は突然やってくる。
(どちらかと言うと、『死』が突然やってくることが多いと思う。)
私たちはそれを知っているのに知らないふりしているだけだ。
H君は、お父さんの状態が良くない事をプラスの力に変えて、勉強に集中しようと努力している。素晴らしいことだ。合格した事をお父さんに言える日が来ることを、私も心から願っている。
ただ、『合格したら、医者になったら、お父さんは僕の事を誇りに思ってくれる』と言う言葉には少し違和感を持った。
親は子供が幸せでいる事を願う生き物だが、子供がいい大学に行ったから、お医者さんになったから誇りに思うわけではない。条件は必要ないと思うのだ。勉強をがんばる為の起爆剤としては良いが、『愛される為の必要条件』と思っている様であればちょっと心配になる。
「親は子供の事をついつい心配してしまうけど、毎日を一生懸命に生きていれば誇りに思うし、大学のランクや職業は関係ないんだよ。」と、伝えておいた。
なお、誤解を恐れずに言えば、インドでも子供の成績や大学、職業などを自慢する傾向はある。元夫もそうだったので、息子とは諍いが絶えなかった。
『XXがあれば愛してもらえる』
『XXができたら、褒められる。誇りに思ってもらえる』
子供が『親に愛される為の努力』を始めてしまうと、子供の成長にもよくないし、親子関係に亀裂が生じるのじゃないかと思ってしまうのだった。
名残惜しいし心配でもあるが、お昼を食べ終わった時点で帰ることにした。帰り際に、プレゼント用に買って来た手袋を渡して。
H君の『誰かに会って聞いて欲しい』と言う願いを叶える事が出来ただろうか?
私はサンタになれたかな?
彼を取り巻く問題は多くあるが、『自分がコントロールできることに集中する』のは正しい方針だと思う。
今は辛いだろうが、来年の秋には大学合格のお知らせが聞けることを願い、帰りのメトロに乗り込んだのだった。
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