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普通の人という病

発達障害の特性がグラデーションになっているなら、定型発達もその定型具合というのはグラデーションになっているものなのでしょうか。

バランスが取れている真ん中あたりの人は、いわゆる「普通の人」として暮らしているんだと思います。「発達障害的な特性で困らない普通の人」として。

でも、発達障害とは逆側であっても「定型発達」の特性が
あまりにもありすぎる人は、それはそれで生きづらさを抱えているんじゃないでしょうか。

カサンドラ症候群について調べた時に、特にそう感じました。
発達障害とはまた極の違う側に、偏っている人がいるのかもしれないなぁと…。

例えば、こちらのサイトで紹介されてる
定型発達の特性がありすぎると、マジョリティの感覚だったとしても逆にしんどそうです。

定型発達の特性
・暇な時はなるべく誰かと一緒に過ごしたい
・集団の和を乱す人を許せない
・社会の習慣にはまず従うべきだ
・はっきり本音を言うことが苦手だ
・必要なら平気で嘘をつける

livesence 


ASDの配偶者が、全員カサンドラになるわけではないし。両極端の人が出会って同居した場合に、発生してしまうのがカサンドラ症候群なのでは?と思います。

あと、妻がカサンドラで困ってる話の方が多いのも何でなのでしょう。逆にASDの妻に疲れきったカサンドラ夫の話というのは、あまり聞かないです。(そういう人もいるでしょうけど。)単純にASDは男性に多いからなのか、男性はそもそも女性よりASD的なシステム思考をしがちだから、ASD女性とはむしろ相性が良いとか。

極端な部分があると生きづらいのは、それはそうとして、
バランスが取れた中央あたりの「普通の人」
世の中のマジョリティの人の生きづらさや問題点って何かあるのでしょうか。
多数派だと、「みんながそう」だから
問題を問題と思えないとか。
サイレントマジョリティになりやすいとか…

バランスが取れてる分、逆に極端なことを言わないといけない場面で黙ってしまって
多数が間違った方向に進んでいるときに違う意見を言うのが難しいのかもしれません。

話をややこしくしているのは、極端な人
問題を放置してるのが、バランスが取れた人
だったりして…


【参考】
ニューロティピカル(定型発達)の特徴
https://gendai.media/articles/-/50640?page=4


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