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霊場恐山で、気が済むまで考えごとをしてみた話
毎年、5月に開山したらすぐ来ると決めていたのに、あろうことか今年のマイ恐山開きは7月になってしまった。
もし自分がウイルスを下北に持ち込んでしまったら…と思うと、どうしても気が進まなかった。
いよいよ今日は辛抱たまらず、考えつく限りの対策を講じ、来てしまった。今この景色を見ながらこれを書いている。
恐山は朝6時から開いているもの。
疑いもせずにそう思い込み、早朝から来てみたら開いていなかった。新型コロナウイルスの影響で8時オープンになっていた。宿坊は今年度いっぱいお休みらしい。
本州の端の端、恐山にも例外なく影響が及んでいた。
もう何度も訪れているが、ここで待ち時間が発生したのは初めてだった。
むつ市街に戻る気にもならないので、開門を待つ間に広い駐車場の縁をぐるっと歩いてみることにした。
停まっている車は全部で4台。
宮城、沼津、青森、青森。
駐車場を歩いてゆっくりまわるのは初めてで、今までよく見たことのなかったものがいくつかあることに気づいた。
たとえば、柵についたかざり。
瓦置き場。
シャーマンキングで鬼に握り潰される、総門横の大きな六道のお地蔵様は、結構新しいものだということも初めて知った。
連載開始時期とそう変わらない。
7:55頃、作務衣の男性が門を開けてくださり、中に入る。
わたしの前に60代くらいのご夫婦が一組。
初めて来られた様子で、あたりをキョロキョロ見てまわるお二人を追い抜かし「最短コース」で進む。
わたしの恐山参拝における「最短コース」は、
本堂でお参りしてから、
湖側に出ている絶景スポットで一度深呼吸して、
八葉塔をチラ見しながら左側の順路を進み、
水子供養の池と、東日本大震災の「念じよう」にお参り。
そして時間の許す限り、宇曽利山湖を眺めるというもの。
今日の目的は、
「ずっとここにいたい」を実現すること。
これは何年も前、初めて東京からここを訪れたときに強く湧いた願望。今でも当時の感情の揺れをはっきりと思い出せる。
"時間の許す限り"ではなく、気が済むまで宇曽利山湖を眺めたい。
ここ最近、自分でもバカバカしくなるほど心が荒んでいた。余裕がない。情けない。
自分の視野の狭まり方にただならぬ危機を感じたので、今日は恐山の力を借りにきた。
恐山にくると、青森への強い憧れと、自分で決めた人生の目的を思い出し、いつでも心を強制的にリセットすることができる。
もう2時間ほど極楽浜に座っている。
晴れたり曇ったり、風が強まったり弱まったり、それによって波が立ったり。天気がコロコロ変わっておもしろい。
この間、観光客は4組。
一人で特等席を陣取り、ボーッと座って動かないわたしのこと、邪魔でヤバいやつだと思っただろうな。ごめん。
毎日、今日死んでもいいやと思って生きている。
これからやりたいこともたくさんあるけど、日々やりたいことを精一杯やってるし、あまりこの世に未練はない。
(今に限ってはシャーマンキング展(聖地)青森会場がこの上なく楽しみなので、かなり未練あるなあ)
今わたしは、死ぬまで大好きな青森に住むために生きている。
だからいつ死んでもいい。いま住めているから。
それでも、もしも長生きするようなことがあったら、そのときはむつ市街に住んで恐山のガイドをやってみたい。どうやったらなれるのかなあ。
通うのが義務になってしまったら、いくら好きなものでも嫌いになったりするのだろうか。ピアノがそうだったので、少し不安だ。
そんな心配をするときが来るのなら、それまでに信じられないような量の考え事をして、死生観についての本とか書いてみたい。
まあ気が向いたらの話だけど。その頃、紙の本って存在してるのかなあ。
それで、来世は恐山に住む鳥かなにかになれたらいいなあ。
畜生道ってやつかしら。地獄におちればいいのかな。それだと鳥がいいとか、希望は通らなさそうだ。にわか知識すらないもんな、勉強したいな。
霊として恐山に住み続けられるならそれも魅力的。
宇曽利山湖の水の中、細い魚が泳いでいる姿をボーッと見ていたら、どんどん陸に上がってきた。目を疑った。
歩いてる。ヤゴか。
周りをよく見たら、トンボになりかけのやつもいる。あと少しで羽が広がりそう。というかヤゴもトンボもめっちゃいるな。踏んでしまいそうでハラハラ。気づかなかったなあ、見えなかったんだな。本当に視野が狭い。
向こうから歩いてきた50代くらいの女性ふたり組に、八角堂ってどこですかと聞かれた。
八角堂と思われる建物を指差しながら、「おそらくあれです、建物の形が八角なので」と答えた。
やっぱり将来一度くらいは、ここでガイドをやってみてから死にたいかもという気持ちになってくる。そのときは仏教のことも恐山のことも、ちゃんと勉強して喋るんだ。
ここに座って3時間。
太陽が移動したのを感じる。
シャーマンキング1巻で葉くんが言う、
「自然と一体になるって気持ちいいなあ」をふと思い出す。
今ならその気持ち、めっちゃわかるわ。
ねらい通り、日頃のイライラなんてどうでもよくなってきた。
あのときの嫌なことも、大嫌いなあの人も、わたしの人生に関係ない。
大好きな人、一緒にいて楽しい人、支えてくれる人たちの方が圧倒的に多くて、その人たちひとりひとりの存在が、どうしようもなくありがたい。
ほんのちょっとの嫌なことのせいで、それを見失っている場合ではない。
明日死ぬかもしれないんだから。
限られた一生の中の一分一秒、
大切な人、大事なもののことだけ考えていないと、死ぬまでの間に感謝しきれなくなりそうだ。
そんなの嫌だ。時間がもったいない。
今日このあと死ぬかもしれないんだから。
そんなことを言っていても、また日常に戻れば何もかも嫌になったりするんだろう。
でも、東京に住んでいたときに比べたら全然つらくないのは確か。あの頃に比べたら、きっと少しは前進できている、のだろうか。
頑張ったところでたいして変われない。頭がかたいって何度言われただろうか、それでも譲れないもの、許せないことが多すぎる。小さな人間だな。
最近、自分に対してそんなふうに思うことばっかりだ。
でも、くよくよするだけの時間はもったいないな。苦しくなったら恐山に来て、強制リセットして、少しでもゆとりを取り戻すための時間にした方がずっといい。ここ数ヶ月、めちゃくちゃ腐ってたなあ。ばかだなあ。
心の拠り所ってこういうことかもしれない。
いつも本当にありがとうございます。
今年は月イチで来たりできなさそうだけど、また頼らせてください。
わたしはやっぱり、恐山のある青森が好きだ。