住み込み従業員列伝①
今は三宮一貫楼の従業員さんはすべて通勤スタイルですが、
昔は社員寮があり住み込みの従業員さんが多くおりました。そこにはかなりぶっ飛んだエピソードを残してくれた人もいたので、そのお話を少ししてみたいと思います。
うちの父親の郷里は城崎で、但馬の職業安定所の所長に父方の親類が就任された縁やらで毎年、但馬からの職業斡旋で数名が当社に入社していました。多い時に10名ほどが4月に入社して来て、その一年後には1~2名が残っているかどうかという状況でしたね。
但馬から来た従業員は良く言えば純朴。悪く言えば世間知らずなところがあります。ある一人の従業員が入寮早々に銭湯に行った際のエピソードです。仮にその方をOさんとします。Oさんが風呂に行くと言ってからあまりにも帰りが遅いので、心配になったうちの母親やほかの従業員さんが捜索していると、赤い顔でぽーっとしてOさんがふらふらと歩いて帰って来たそうです。
母親が「心配したんよ。どこに行ってたの?」と尋ねるとOさんポツリと一言「神戸の風呂高い・・・。」
よくよく話を聞くとその当時、寮住まいの従業員が行く銭湯が福原(有数の風俗街)の近くにあり、キャッチのお兄さんにどこに行くの?と話しかけられたOさんは素直に「風呂に行く」と答えたそうです。大いに歪みはあるものの二人の需給関係は不幸にも成立してまったのですね。それに嫌気をさしたかどうか分かりませんが、Oさんは1年あたりで退職の道を選ばれました。