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母親のことを少し思い出してみる

2010年に他界した母親のことを思い出してみる。享年67才。胃癌由来の多臓器不全が死因だったように記憶している。母親の死ってこんなに辛いもんなんだと思ったはずだけど、そのリアルな感情を思い出すことは出来ない。みんなそうやって忘れないと前に進めないんだろうな。

私は4人兄弟の末っ子なので兄弟の中では一番母に可愛がられたと兄弟も思っているし、自分でもそう思う。しかし一番彼女に怒鳴られたのも私であることも事実である。

自分の母を評するのも変なものだが、すごく良く出来た女性だったと思う。容姿端麗、頭脳明晰、天真爛漫。生前であれば気持ち悪くて評することは出来ないが、実際にそうだったと思う。お世辞にも男前と言えない親父にこの人が付いたのは最高の幸運だったに違いない。(両親はお見合い結婚)

友人がうちに遊びに来て、母親に挨拶をすると
「なんか安ちゃん(私)のお母さん、普通と違うよなぁ?ほんまに女将さんって感じやなぁ」
まさにその通りの人だった。おそらく後天的に纏ったものであろうが、長年そのように振舞っているとオーラの質が変わってくるんだろう。そのように友人に言われると自分のことのように嬉しかった。

母の得意はそろばん。なんでも学生時代は郷里の滋賀県で一位を取るほどの実力を誇ったらしい。もちろんその能力は商売にいかんなく発揮されていた。

それに関してひとつのエピソードを紹介すると、嫁入り間際の頃に出前商売をしていたうちは売上金と売上伝票の検算が店じまいの作業としてある。その読み合わせを従業員と責任者でするのだが、新入りの女将さんに対し従業員のちょっとした意地悪、今でいうマウントを取るために早口で売上伝票を読み上げたものの母は涼しい顔で暗算で検算を完璧にこなしたらしい。まさにマウントを逆に取られそこから母に従業員が意地悪をするようなことはなくなったとか。むしろ仕事が終わったらほとんど飲みに行ってしまう父親よりも当時の従業員との距離が近かったのは当然の結果か。

お見合い結婚で郷里を離れ、慣れない商売をする家に嫁ぎ、姑小姑の上に従業員と同居。嫁入り直後の母の苦労は筆舌に堪え難いものだっただろう。
「自分がホッと出来るところはトイレをしている間だけやった」
と生前に回顧していたことが懐かしい。

そう言いつつも元来、母には商売人としての資質が備わっていたのは明らかで、彼女がうちに嫁いでからは個人商店が会社組織となり事業も拡大著しかったことは母の貢献は相当なものだったと思う。

(つづく)

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