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KOBE豚饅サミット in輪島

先週の3連休(9/14,15,16)を利用して、
KOBE豚饅サミット実行委員会および
KOBE豚饅娘のお二人と輪島市の方に
行って参りました。

目的は今年1月1日に発生しました
能登半島地震により焼失してしまった
輪島朝市の復興支援のために。

現在の輪島朝市通り付近

2011年に発足したKOBE豚饅サミットは
かつて東日本大震災でも被災地支援の一環で
名取、仙台、気仙沼などで炊出し事業を
やって来た実績がございます。

かく言うわれわれも1995年1月17日に
発生した阪神淡路大震災での被災経験も
あって、このような事態を他人事のように
思えず、今回の事業も夏前から計画して現地に赴きました。

事前の打ち合わせにおいて紛糾したのは、現地までどのような交通手段を用いて行くかと言うことでした。

石川県の県庁所在地である金沢までは鉄道にしても車にしても神戸からは比較的出やすいのですが、目的の輪島市までは金沢からでもかなりの距離と時間を要します。

ましてや地震による道路のダメージは凄まじく、通常の道程より困難を極めることも予想出来ました。

現地に実際に行かれた方からのヒアリングや行政からの情報を鑑みて、物資の運び込み等も考慮して神戸から輪島までは車3台での移動が決定しました。

神戸-輪島の道程

出発は9月14日3連休の初日とあって名神高速の京都手前を最初に北陸道でもしっかりと渋滞に捕まってしまい、予想時間より約2時間遅れの8時間をかけて現地に入りました。

現地に入り目に飛び込んでくるのは驚きの光景。


発生からすでに9ヶ月を経過しているにも関わらず、手付かずの瓦礫の山が市内の方々に見られます。

神戸、東日本の被災地を実際に見て来ましたが、また違った凄惨さです。

交通インフラの復旧に注力しているせいか瓦礫の撤去率が低いというのが輪島市の直面している現実です。

兵庫県知事や大谷選手のことを報じる時間の半分をこのような能登の現状を流せばいいのにと、ジンワリとした怒りが湧いて来ます。

会場のワイプラザ輪島
出張輪島朝市

さて、今回の支援事業は従来の炊き出しにするのか?という話しもなりましたが、彼の地での再開がままならない輪島朝市さんへの支援に絞り、今回は炊出しではなく販売イベントを開催して、その売上を輪島朝市さんの復興のための全額寄付という方策を採りました。

実際の販売イベントは15日だったのですが、、、、

切ない天気予報

ピンポイントで日曜だけ雨。。。

実際の天気はただの雨でなく、
途中から警報も出るという嵐(苦笑)

加えて輪島市内にボランティアと言えど、
一般客が宿泊できる施設が乏しく、志賀町という輪島から片道約1.5時間を要する場所での宿泊でした。

道のりに関しても地震で隆起、陥没した道路を通るので運転は普段よりも慎重を起する必要があり、ここでも神経を使わなければならない状況でした。

事前の告知は朝市の皆さんとワイプラザさん頼みだったので、どこまで当日にお客様が来ていただけるのかという不安もあり、前日は心が休まることは少なかったですね。

明けて販売イベント当日の15日朝、
部屋のカーテンを開けると予想に反して青空が見える穏やかな天気。

この天候をめぐり、販売場所のレイアウトでも侃侃諤諤の議論を戦わせて落ち着いた壁際のレイアウト。

日さしを雨避けに

結果このレイアウトが大正解で、
並び客さんのストレスを最大限に取り去ったと感じています。

販売開始当初

販売開始の10時あたりは上の写真のように晴れ間も見えるお天気でしたが、このような状況はあまり長くは続きませんでした。

販売開始の30分後には、

販売ブースの目の前


まさにバケツをひっくり返したような雨。

究極は最も並んでいただいた際に界隈が土砂災害指定地域となった警戒アラームが従事者とお客様のスマホから一斉に流れるという事態にも見舞われました(苦笑)

しかし、大雨予報を根拠に予想していた客足よりもかなり多くのお客様が駆けつけてくれまして、いわゆる盛況で終わることが出来ました。

売上贈呈式

このような事業を終えていつも思うことが一つ。

現地の方を元気づけに被災地に行くのですが、どこの地でも逆に元気をもらう次第です。

例に漏れず、ここ輪島でも朝市の方の底知れぬエネルギーに触れ、ちゃんと普通に商売ができる日常を当たり前と捉えずに幸せなことだと変換することが出来ました。

被災した立場、支援する立場の両方を経験したことを踏まえて、言えることは一つ。

忘れないこと風化させないこと。

阪神淡路大震災に被災して寂しかったことは1月に被災しましたが、3月に地下鉄サリン事件が発生して、報道の大部分をそちらに持って行かれて多くの方々の興味がオウム一色になり、忘れられたという痛ましい過去があるがために、今なお東日本、熊本、能登の被災地のことが気に掛かります。

微力ながらこちらのnoteで現地レポートが出来ることを意気に感じてます。

これからも機会があれば被災した地域に足を運んで、自分ができる等身大の支援を息長く継続したいと思います。

現場からは以上です。

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