パチモンのクラウン
クラウンと聞いて、ピンとくる人は世の中の半分ぐらいだろうか?この言葉を耳にし出したのは四半世紀前ぐらいの事だろう。平たく言ってしまえばそれは、ピエロの別称に他ならないのだが、昨今の人間は何でも聞こえのいい横文字を探し出して、さもトレンドに敏感でございという態度をひけらかす。かく言う俺自身、バイトのパチモンの分際で、可愛い娘にご職業は?などと聞かれた日には、ストリートアーティスト、世間でいうところのクラウンですなどと、分かったような口を利いたりする。
バイトを始めて2年もたった頃か、あくまで俺はバイトの分際だったので、パントマイムも、ジャグリングの一つもできる訳でなかった。そこいら編を歩く、おばちゃんの方がお手玉でもやらせようものなら、俺より余程上手にやってのけただろう。俺の元請けのちんどん屋の親父も、鼻から俺に対してそんな技術の習得を願う訳でなかった。金を叩きながら商店街を練り歩く、ちょんまげ三度笠の親父に連なって、手足をひらひらさせていれば、格好がつく世界だった。
しかしそんな俺も一度だけプロの大道芸人の、クラウンと駅中のイベント会場で鉢合わせたことがある。一瞥しただけでおれがパチモンであることに気づいたその男は、蔑むわけでも憐れむわけでもない、今まで俺が見たこともない悲しげな視線を、群集の背中越しに投げかけてきたのだった。たぶんそれは、そいつのチンドン屋としての矜持が、どこの馬の骨かさえ分からぬにわかピエロの俺の登場で、踏みにじられたという思いがそう見せたのだろう。
ちんどん屋のババアお手製の五色の水玉が彩られた衣装は、替えなどあるはずもなかったため、夏場のくそ暑い時期には袖を通すこと自体が苦痛だった。履き古されてそうなったのか、わざとそうしたのか定かでない合皮の、チャップリンのそれをまねた安全靴のせいで、その先酷い水虫に苛まれていることも伝え置かねばなるまい。
だが、気になることといえばそれぐらいで、内容にもよるが、1日フルで頑張れば結構いい稼ぎになった。ステップもまともに踏めない俺の与太踊りは、見る者にはそれはそれで結構面白おかしく映ったようで、贔屓にしてくれる人もちらほら見受けられた。時に大向こうから「いよっ、パチモンのピエロの兄ちゃん、今日はいつになくダンスがさえとるのう」などという励ましのメッセージが届いたことさえあった。前にも言ったが俺は、このバイトをただのパチモンのクラウン程度にしか捉えていなかった。生来のぐうたらの俺にとって、今より実入りが良くて楽な仕事が見つかれば、いつでもホイホイと、抜け出すぐらいの覚悟はできていた。
が、そんな俺にこともあろうにある日とんでもない仕事が舞い込んできた。世の中どこのどなた様が、見ているかわからないというのは、俺の事を指して言うのかなどという奢った感情が、その時は胸に去来した。
「申し遅れましたが、私○○映画株式会社で、映画製作に携わっております△△と申します。失礼ですがあなた、映画監督の✕✕の事はご存じですか?再来年の夏の公開予定でピエロを題材にした書下ろしの映画製作の企画が持ち上がりまして、監督予定の✕✕の白羽の矢があなたに立った次第です」
「実を申せばこの間の駅中のイベント会場で、偶然あなたの姿を目にした監督が一目ぼれして、私にあなたのもとを訪ねろとの要請がくだり、今日こうやってお尋ねしました。もしよろしければ、2か月後に一応形式だけのオーディションをを予定しております。あなたのご承諾をいただければスポンサーの手前そいう形を取らせていただきますが、もう主役のピエロのキャスティングは、決まったも同然です」
「よ・よ・よろこんでお受けしますとお伝えください」
それからの2か月というもの俺は、パントマイムにダンスレッスン、発声練習と、ありとあらゆる部分でのスキルを必死で磨いて当日を待った。
運命の日、俺は、監督と思しき男を中心に従えた眼光鋭い関係者一同の前で生まれて初めての努力の成果を披露した。力を出し切った俺が、最後に目の前の男たちを一瞥すると、皆一様に満足げな顔がそこにあった。ただ一人真ん中で腕を組んで、物思いに耽る監督本人を除いては。
感激の絶頂の中で身支度を整え、会場を後にしようとすると、先にわたしのもとを訪れた制作サイドの人間がにじり寄りこう告げた。
「きょうは本当にありがとうございました。すでに内内であなたの主演は決定事項なんですが、近々の内に正式決定のご連絡をさせて頂きますのでもうしばらくお待ちください」
1日千秋の思いで、待ち続ける俺のもとに、早2週間が過ぎようとしているにも関わらず何の音沙汰もない日が続いた。とうとう痺れを切らしこちらから1報を入れようとした矢先、映画会社からの1通の封書が手元に届けられた。勢い勇んで明けた封書の中に書かれた文面には、パソコンで印字されたA4の紙に
大変恐縮だが、監督が最初にあなたのことをお見受けしたときのイメージが、オーディションのときとそぐわなかったので、今回の話はなかったことにして欲しいといったような内容が綴られていた。
言葉を失った俺は、何も手につかづその場にへたり込んで一晩の時を過ごした。その後2か月ほどを費やし何とか日常を取り戻すことが出来た俺が、たまたま訪れた定食屋に置かれたタブロイド判のスポーツ紙に目を向けると、そこに見覚えのあるピエロの衣装を身に纏った男が、両手を振り上げガッツポーズする姿の写真が載っていた。もう言うまでもないことだが正しくその男が、駅中でおれのことを悲しげな視線で見つめたクラウンの男に違いなかった。
それはいいかえれば、俺がパチモンでなく、本物のピエロに身を落した瞬間だった。
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