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中仙道ぶらり旅 壱

岐阜県には江戸時代、中仙道69宿の内、17の宿場町があった。
今回はその中の御嵩、細久手、大湫の3宿を訪れた。実は御嵩宿までは家から車で20分ほどなのだが、灯台もと暗しというのか、ゆっくりと御嵩の宿を見て回る機会は、今までなかった。

御嵩宿

歌川広重の浮世絵に書かれた御嵩宿の絵のなかに、木賃宿の文字が見られるが、この木賃宿という言葉、食料寝具持参だった旅籠の宿賃が、炊事に使う薪代程度の料金だったことからこう呼ばれるようになったとされる。当時の最下層の人々が夜露をしのぐのに、相部屋で雑魚寝をした
宿がいわゆる木賃宿である。

ヘッダー画像は、今なお現存する商家竹屋。


(願興寺)

天台宗の開祖最澄が創建した願興寺は、可児吉長(才蔵)が幼少期を過ごした寺としても有名である。
現在は、老朽化が進み大規模改修中の為、残念だが拝観は叶わない。
織田家からの寄進が頼りだったこの寺は檀家を7軒しか持たず、総工費10億のほとんどは、行政からの支援に頼らざるを得ないとのことである。
工期は10年、今はまだ大方の取り壊しが終了した程度で道半ばといったところだろうか。

可児才蔵は、別名笹の才蔵と言われた猛将で、関ヶ原の合戦では福島正則に使え、大谷吉継勢相手に20にも及ぶ首級を挙げたとされる。
なぜ笹の才蔵と呼ばれたかと言えば討ち取った多くの敵方の首を自力で持ち帰るわけにいかなかったため、敵の骸の口に笹の葉を咥えさせ自分の手柄を実証したという逸話からこう呼ばれるようになったらしい。
私が好きな戦国武将を3人挙げるとするならば、後藤又兵衛、島左近、可児才蔵と言いたいところだが、本多忠勝辺り

街道から少し入った場所にそびえる大銀杏の御神木?
上の写真は去年の秋に撮った一枚
下は緑が眩しいこの季節の写真


細久手宿

両隣の御嵩、大湫宿の移動距離が四里半と長く、人馬共に難渋を極めた事から作られた宿場町が、細久手宿である。
瑞浪市日吉町にある現在の細久手地区は、土岐川沿いに鉄道や主要幹線道が移ったため過疎化が進み、当時の面影を偲ばせるのは、尾州家定本陣大黒屋位だ。
この店は現在も料理旅館として商いを続ける。

(大黒屋こうだよう)


大湫宿

徳川14代将軍家茂に嫁いだ皇女和宮が、中仙道を京都から江戸へ渡る時に立ち寄った大湫宿で読んだとされる句が残される。

幕末を代表する、悲劇のヒロインの一人、和宮のその時の思いは如何許なものだったのだろうか?
NHK大河「天璋院篤姫」に登場した皇女和宮役は、堀北真希だったか?今一記憶が不鮮明ではあるw


(神明神社の大杉倒木)

推定樹齢1300年とされた神明神社の御神木の大杉が正に昨年2020年7月の豪雨で倒木した。
後の有識者による調査の結果、正しい樹齢は670年あまりだということが判明した。

地元の観光案内のお姉さまからこの話を伺った折「話し半分とはこういうことを言うのですね」とつまらぬ冗談を飛ばすと、それまでの満面の笑顔が冷やかな嘲笑へと変わった。「口は災いのもと」の見本である。

全長60メートル、幹の太さは約2メートルの巨木は、奇跡的に近隣の民家に全く影響を及ぼすことなくゆっくりと倒れたらしい。


おまけ
(天狗塚展望台)

大湫宿で出会った、ご高齢のサイクリストご夫妻にお教えただいた天狗塚展望台なるところに立ち寄った際に撮した写真

一年に一度全国の天狗がここに集まりその技を競うと案内に書かれていた。
勝ち名乗りを挙げた天狗様は、更に天狗になったのだろうか?甚だ疑問である。

眼下に広がる映像は、木曽川、笠置ダム湖の様子

まあまあの景観かなあ~

次回中仙道ぶらり旅のご報告はあるような無いような…
乞うご期待

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