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【闇夜のヒダルマン】

昔体験した実話を基に小説風にアレンジしてみました。お時間がございましたらお読みください。


ただで親戚から譲り受けたワンボックスカーは、いつお釈迦になってもおかしくないポンコツだった。地元の三流大学に入学した年の夏、ブームに乗って始めたサーフィンは、当時よく言われた陸サーファーの奔りだった。

 海に行く訳でもなしに、リンコンと呼ばれたサーフボードキャリアに括った板は、購入当初は白かったはずだが、日焼けと排気ガスの影響で瞬く間にチャコールグレーに変色した。本来の使用目的を逸脱したサーフボードが、車のアクセサリーと化し、常時車の屋根に放置されたためだ。

 英夫は一浪の末、最後の頼みの綱の、滑り止めの大学に潜り込んだにもかかわらず、学業そっちのけで遊びとバイトに励んだ。その日の夜もインドの王様の名を騙ったディスコの前でナンパに勤しんだのだが、目ぼしい戦果も挙げられず、遊び仲間の浩と雑居ビルの地下にある行きつけの赤ちょうちんで、散々くだをまき帰路についた。時計の針はすでに日を跨ぎ翌日の未明を指していた。下宿先までは直線距離にして5キロほどだったが、その時間であれば30分もかからず帰りつけそうだった。一つ注意をはらうとすれば巡回のパトカーに停められぬよう、慎重な運転を心掛けることぐらいであった。

「こいつ、人に運転まかせっきりで自分だけふて寝しやがって」

 ハンドルを握る自分の事などお構いなしに助手席で酔いつぶれる浩に向かって英夫は悪態をついた。片側四車線の幹線道路から一本中に折れると、長屋仕立ての古い店舗が軒を連ねるこじんまりとした飲み屋街が目に飛び込んだ。申し訳程度に店先に並べられた鉢植えやら看板やらを気にしてスピードを落とすと、突然目の前の飲み屋の店先から火の塊とでも言えばいいのか、何だか得体の知れない火まみれの物体が転がり出てきた。呆気にとられ寸前で車を止めると、改めて目の前の火の塊を凝視した。次の瞬間、目の前の火が人間であることに気付かされた英夫は、自分の目を疑った。

  彼は、一向に起きそうもない浩の頭を、まるでドラムでもぶっ叩くかの勢いで連打した。「おい起きろ、いつまで寝とんじゃこら」英夫は手加減を忘れてドラムをたたき続けた。

 心地よい眠りの時を反故にされ、浩はワンボックスの天井にしこたま頭をぶつけて飛び起きた。周りの状況が全く読めていない浩は、自分が今何処にいるのかさえ理解していない様子だった。

「いてーなてめー、調子に乗りやがって人の頭を何だと思っとるんじゃボケ」正気に返った浩の襟首をつかむと、英夫は有無を言わさず車からひきずりおろした.

 目の前の火だるまの人間を見殺しにしてその場を立ち去る訳にもいかず、さりとて自分一人で何とかしようなどという大それた気持ちは毛頭ない英夫は、浩を自分の盾にしてヒダルマンの前に追いやった。

「うあーっ・・・・・・こ・こ・これ人じゃねーのか?」浩は、あまりの驚きに腰を抜かしその場にへたりこんだ.辺り一帯には髪の毛が焦げた時の耐え難い悪臭が立ち込めていた。ヒダルマンの顔や手は、絶妙な焼き加減のウインナーでも連想させるかのように焼けただれていた。思わず目を背けた浩の横顔は、汚いものを目にしたときにありがちな嫌悪感むき出しの表情だった。

 見たところヒダルマンの背後に立つ場末のスナックの二階が火元のようで、その入り口からはうっすらと煙が立ち込めていた。余りの熱さに耐えかねたヒダルマンは、当たりかまわず転げまわっていた。

 最早、手を差し伸べる勇気も消え失せた二人の根性なしの背後に、突然一人の男の影が忍び寄った。やにわに二人の間に割って入ったその爺さんは、命令口調でいきなり英夫に指示し始めた。

「はさみと毛布、それにバケツに水を借りてきてください。それともう一人の君、すぐに救急車に連絡」

 突然目の前に現れ、無礼千万にも上から目線ありありのもの言いの爺さんに英夫は「ど素人が知ったかぶりせんほうがエエでー、なあーおっちゃんよー」と言い放った。

 すると爺さんの口から発せられた次の言葉に思わず啞然。「私は、医師です」その後の二人はもう抗うことなく彼の指示に従った。どこからか英夫が借り受けてきた鋏を使い、爺さん、もといお医者さんはヒダルマンの洋服を素早くはぎ取っていった。手慣れた様子で鋏を使うお医者さんの姿を前にして、二人は爺さんが正真正銘のお医者様であることを、改めて思い知らされた。

 しばらくすると遠くの方からドップラー効果に導かれ近づいてきた救急車が、到着をつげるためにサイレンを止めると、中から降り立った救急救命士が、第一発見者で救助功労者でもある英夫を邪魔者扱いして、治療に当たっているお医者様から事情を聞いていた。

 いつの間にか蚊帳の外に追いやられた英夫は、仕方なくヒダルマンが飛び出してきた場末のスナックに目を向けると、店内ではママと思しきオバはんと、常連客らしい酔っ払いが数人、外で起きていることを全然気に留める様子もなく平然と、時に笑い声を交えながら酒を飲み続けていた。

 火元の 二階の事が少し気になった英夫が、店の入り口の脇に設えられた階段を除くと、上り端にへたりこみ泣きじゃくる少年の姿が目に飛び込んできた。少年は髪の毛を焦がし、顔と手に少し火傷を負っていたが大したことはなさそうだった。しかし少年は怯える目で打ち震え続けていた。

 幸いにも二階の火は、煙が充満してはっきりとは見て取れなかったが、ほとんど消えかかっているようだった。信じられぬ話だが、その時店の中からカラオケのイントロが流れてきたのには耳を疑った。さすがにあきれ返った英夫は、事の真相を確かめる気も失せそれ以上店には近寄らなかった。

 ワンボックスに目を向けるとその脇に一人ぽつねんとたたずむ浩の姿があった。

「今日の俺らの活躍は表彰もんだよなあ」              

英夫のそんな物言いに浩は、「こんなところでぐずぐずしてて、警察に飲酒運転ばれたらおしまいだぞ、俺らの方こそ手が後ろに回るぞ」浩の的を得た話にいちいち納得した英夫は、警察の到着を待たずにそそくさとその場から立ち去った。自分の事など忘れて逃げ帰ろうとする英夫の姿を見て浩は、友達の縁を切ろうと心に誓った。

英夫の下宿に戻った頃には、夜は完全に明けきっていた。翌日即ちヒダルマンと出くわした翌々日の新聞の三面に小さくではあったが事のあらましが載っていた。その記事には、痴情のもつれからヒダルマンが頭から灯油をかぶり狂言自殺を演じたらしいが、何を血迷ったのか彼は、ご丁寧にもライターの火をつけてしまったため、気化した灯油に引火して衣服に燃え移ったと書かれていた。ちなみに彼は、何とか一命だけは取りとめたらしい。全く人騒がせなヒダルマンはその後どうしているのか、気になるところではある。 

  

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