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源爺物語

御挨拶  今後の与太話につきましては源爺物語と改題させて頂く運びとなりました。読者の皆様におかれましては宜しくご査収下さい。

その一 おいらが鋏のある生き物全般を嫌いになったわけ

この世に鋏を持つ生物は数多く存在するが、苦手だという方は挙手を願いたい。我が同士ということで今後共、仲良くお付き合いができそうだ。

 数多ある鋏系生物の筆頭格に君臨するのはやはり蟹、海老系と思われるが、ヤドカリという無骨な奴はご存じだろうか?市場に出回ることはほとんどないが、三重県尾鷲市界隈や、神奈川の三浦半島近辺では、刺身やイセエビの様にみそ汁の具材として用いられるらしい、そしてその味は流石甲殻類の仲間だけあって、かなり美味だとテレビで報道されていた。

 しかしこと、おいらのような昭和30年代に生まれたものにとって、ヤドカリは、祭りの縁日で売られる生き物シリーズの大関格と言った所だった。

 東の横綱に君臨するのは金魚を於いて他にない。中でも大きめの出目金やらんちゅうもどきは、市井のション弁小僧の垂涎の的だった。しかーしぺらっぺらの障子紙が貼られた金魚すくいの救い網では、いくら大金をつぎ込んでもゲットすることが叶わず、金魚担当のテキ屋のおっちゃんの目を盗んで姑息ないかさま作戦によく打って出た。(捕獲した金魚を入れる茶碗を使い、さも大仕事をやってのけたようなアピールをする事で大人の目をごまかす作戦)さすれどそこは、海千山千のおっちゃんの事「おい坊主、見とらん思ったら大間違いだぞ、若い内からそんなイカサマ覚えたら碌なもんにはならんぞ、おっちゃんみたいになってもええんか?」

 はっきり言ってとっても嫌だったので、素直に自分の非を認め、おずおずと引き下がって差し上げた。うーん自分の潔さに脱帽だ。 

 そして西の横綱はといえば。心情的にはヒヨコを推挙したい。オール男の子ちゃんのひよこたちにも拘らず、昭和も40年代に差し掛かると。かわいそうにピンク色で全身色付けされた、突然変異バージョンまで登場を見たから驚きだ。動物愛護団体か日本広告審査機構(JYARO)に訴えればよかったと後悔先に立たずだ。ひよこはヒヨコであるから可愛い。ヒヨコがニワトリという名の全く別の生き物に憑依するという事実は、親から聞いていなかったし、ひよこは永遠にヒヨコであってほしいという当時の願望は、初めて子供を授かった母親がいつまでも自分の子だけは、私のぼくちゃんでいてねと願う気持ちに通じるものがある。 けだし名言だ。これは、ニワトリは卵が先か…?の事実を全く理解していなかったが為の失態だ。

 そろそろ大関ヤドカリ君のご登場だ!ヤドカリ君は常に縁日の端くれで地味に売られており、はなたれ小僧限定の商品アイテムだった。白いホーローの洗面器が5~6個並んだ中に300円コース、200円コース、100円コース、50円コースといった具合に最小様々な大きさのヤドカリ君が蠢く様はホーローの底をひっかく効果音を伴ってはなたれ小僧の鼻を極限までのばしつづけたので…あった。

 ある日の縁日で私の懐具合が、いつになく充実した日があった。それは何かの間違いでその頃だけ我が家の家計にチビっとゆとりが生じていたからだろう。おいらは有り金をはたいて、300円コースの中でも飛び切り大きな一匹を手に入れた。わずかな記憶の糸を辿ればその鬼ヤドカリ君の大きさは、ヤシガニ殿のそれに匹敵するおおきさだった。

 急遽ヤドカリ君のお庭と化した、ケロヨンだかケーパインだかの風呂桶は、新しい家族の一員を招き入れた喜びで黄色くなっていた。翌日からの私の行動は、学校に通っている間以外、ヤシガニさんに首ったけだった。しか~し当のヤドカリ君はといえば少々小難しい性格と見えて、一日の大半を自分の殻に閉じこもってお暮し遊ばせた。好意を寄せるおいらが近づいても見向きもせずに心を開こうとはしなかった。

 そんなある日の昼下がり、意気消沈な私の様子を見るに見かねた当時のおいらの親父の源ジジイは、ヤドカリの心を開くおまじないを授けてくれた。

「おい。せがれヤドカリに顔を近づけて息をふーっと吹きかけて見ろ、ヤドカリさんがご機嫌を直してお出ましだぞ!」

 壱にも二にもなく源ジジイの話を鵜呑みにしたオイラは、鼻先を思いっきりヤドカリさんに近づけ、あらん限りの勢いでヤドカリさん目掛け、息ををふ~っと吹きかけて差し上げた。

 勘の鋭い読者の皆さんならもうお分かりだと思われるが、その後すぐ、忘れもしない悲劇が私の元を訪れたのだった

 ヤドカリの鋏は右と左で鋏の大きさが違うのをご存じか?右利きのヤドカリは右のはさみが左利きのヤドカリは左のはさみが異様に大きいのが一般的だ。(この研究内容は、1998年度版のnatureに掲載されたのでご参考までに)

 突然眠りから覚めたヤドカリ君は、とてもヤドカリ君らしからぬ俊敏な動きで、よせばいいのに利き鋏の方のハサミで、おいらのあどけないおちょぼ口をチョッキンしておくれあそばされた。二度と放してなるものかとチョッキンを続けるヤドカリ野郎の痛みに耐えかねたおいらは、「ビエーン」と泣き叫びながら、小さなサザエさん程のヤドカリ野郎の殻を唇にぶら下げたまま貧乏長屋の周りを泣き叫びながら走り回った。そんだもんだから、ご近所のおいちゃんやおばちゃんが何事かと表に飛び出し、私の姿を目にすると、助けの手を差し伸べることさえ忘れて、源ジジイと一緒に笑い転げやーがっているではないか

 目の前にヤドカリヤローの目と目が合ったおいらはその日以来鋏と名の付く武器を持ち合わせるすべての生物に対して、言い知れぬ恐怖を抱く身体になってしまった。そしてそのそのトラウマは改善されることなく今日まで続く。いざという時全く役に立たない大人への猜疑心を伴って… おしまい!

 追記:  実はオイラいい年になるまでヤドカリを、「ヤドカニ」だと勘違いしておった、誠に以って情けない話だ。

   


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