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通り雨

梅雨明け間近の夕暮れ時、山間の道を車で行くと、しばしば通り雨に遭遇することがある。一転俄かに掻き曇り、辺り一面が闇に閉ざされたかと思うとバケツをひっくり返したかのような大雨に見舞われる。そんな経験誰にも一度や二度はあるだろう。これは私が、忘れもしないある夏の日、偶然に体験した出来事である。

真っ黒な雲に向かって車を進めることを余儀なくされた私は、半分高を括っていた。この時分に降る雨はどうせ、一時もすればまた元の様な、うだるような暑さに逆戻りするのは火を見るより明かだったからだ。昔からこういった雨を、驟雨とか村雨、通り雨などと表現するが正しくその時の雨は、絵に書いたような通り雨だった。

焼けつくようなアスファルトの路面が、音を立てて足元を濡らす水煙に見舞われると、フロントガラスの向こう側の景色が叩きつける雨によって奪われた。車の前方の道路状況など分かるはずがなかった為、最早私には車を止めその場に立ち止まるより他に手立てがなかった。雷雲は瞬く間に広がりを見せ、稲光と雷鳴が一瞬の時を経ずに辺りを照らし鳴り響いた。そしてその後も雨雲は、まるでその状況をあざ笑うかのように私と私の車の上に居座り続けた。

いったいどれくらいの時を経たのだろう?土砂降りの雨の中、傘をさす様子も見られぬ人影が、車の両側を取り囲むように歩く気配と重なり、僅かにだがその中の数名と思しき人のざわめきが聞えた。

熱気と湿気が車のガラス全体を覆ったため、うすぼんやりと揺らめく影が次々と近づいては消える姿が目に飛び込んだ。それゆえ私は、影の存在を、抗うことが出来ない現実と認識した。

声はする、影が揺らめく、だがどういう訳かそれは生き物の気配が全く感じ取れない影だった。全身総毛だつという感覚は、まさにこういうことを指し示すという事が、身を持って感じ取れた瞬間だった。

私はこの状況を打破しようと、サイドブレーキを戻し、アクセルを目いっぱいに踏み込まなければと行動に出たのだが、身体が固まってどうにも身動きがとれなかった。

そして次の瞬間、運転席側のサイドガラスがコンコンと、無機質な音を立てて鳴り響いた。その音は、生身の人間の指から発せられる音というよりかは、金属と金属がぶつかり合う時に発せられるような、乾いた響きの音だった。

いてもたってもいられぬ私がガラス越しに外に目をやるとそこに、マネキン人形で作られた得体の知れない案山子の群れがうごめいていた。そしてその中でももっとも手の込んだ造りの一体が私ににじり寄った。

一瞥して全てが作りものだと見て取れた案山子だったが、その眼だけは図らずも生き物の目に相違なかった。

その時すべてを見透かしたかのような目をした案山子の口から思わぬ言葉が飛び出した。

「ああ、やっとまた俺も、にんげんに戻れる」

いつの頃からだろう、デパートやブティックのショウウィンドウから、人間に似せたマネキン人形が姿を消したのは、この村は知る人ぞ知るそんなマネキンの墓場だった。行き場を失ったマネキンたちが集められ、案山子に姿を変え、至る所に立ちすくんでいた。

突然の雨によって命を吹き込まれたかのように見て取れる案山子の集団は、虎視眈々と自分たちに変わる何者かが現れる瞬間を待ち続けていたのだった。

図らずも、リーダー格の案山子の目配せで何体かの案山子の群れによって車から引きずり降ろされた私は、手足を拘束され土砂降りの雨のぬかるみで意識を失った。

いったいどれくらいの時間が流れたことだろう?それからの私は、リーダー格の案山子に取って代わって、その他大勢の案山子と共に、自由が利く目の動きだけで、次なるターゲットを探し続けている。

だが当分の間は、とてもまた私のような間の抜けた人間がこの地を訪れるという期待は、持てそうにない。



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