リアルどくだみ荘のショボい奴ら
【番外編】 そんなヒロシを騙した思い出と、ヒバゴンとの出会い
注:先回お話しした、リアルどくだみ荘のショボい奴らの番外編だ。
当時流行ったヒロシという名の男には碌な奴がいなかった思い出
ここを訪れる来訪者(と書いてあんぽんたんと読む)は、基本、中学生時代からの連れで、この部屋の借主ヒロシや、バーテンダーの弟のクロの知り合いが多かったが、おいらとヒロシは一応大学まで通ったため、それぞれに大学の同級の仲間がどくだみ荘を訪れた。
ヒロシとクロとおいらは、同い年のはずなのに何故ヒロシとおいらの学年が違うかは推して知るべしだ。ヒロシは身の丈に合った大学選びを怠り、少しだけおりこうさん部類の大学に挑戦したため、青春時代の大事な2年間を棒にふった。
そんな、人生に疲れ、生きる望みを失いかけていたヒロシにおいらは、「うちの大学の2次募集うけてみたらどうだい?」と優しい言葉を投げかけてやったのだが、当の本人と来た日には「専門学校に毛の生えたようなへっぽこ大學行く気ないもんね」と、この期に及んで悪態をつきゃ~がったもんだからたまったもんじゃない。カチンときたおいらは、「もうあんな奴、知~ラナイ」とばかりに突き放して無視を決め込んだ。
その後、所詮男の友情なんてこんなもんだと、奴の存在を友達リストから消し去ろうとしたにもかかわらず、春の新学期に、新入生でごった返すキャンパスの中に、きっちりヒロシの姿を目の当たりにしてしまった。照れ笑いを浮かべて近づくヒロシにおいらは、人生の厳しさを徹底的に教え込まねばとの一念から、「失礼ですがどちらさまですか?」とすげない返事を投げかけた。
然るに当の奴と来た日にゃあ、含蓄の深いおいらのアドバイスに耳を貸そうともせず、タメ口で、偉そうで、ふてぶてしい態度を改めようなどとは微塵も思わない素振りだった。おいらの了見がもうチビっと狭かったらヒロシのその後のキャンパスライフは、バラ色だったのか灰色だったのか、今となれば甚だ疑問だ。そしてヒロシは親の転勤の都合で、どくだみ荘の牢名主へと、身を落としたのである。
おおっとまた今日も今日とて底抜け脱線ゲームだ、話をヒバゴンの話題にうつさねばなるまい。
ヒバゴンとは?
1本名 忘れたことにしておく。
2出身地 広島県比婆郡高野町 山を隔てた反対の村は松本清張の砂の器の舞台となった山陰地方にもかかわらず、ズーズー弁のイントネーションを今なお使う村だ。紛れもない怪獣ヒバゴン発祥の地だ
3年齢 おいらの一個上 (奴もヒロシ同様身の丈に合った大学選びが出来なかった部類だ)
4性格 限界集落出身者だけあり、割とピュアな田舎モン
5身なり 一応高校から下宿して、広島市内の高校に通ったらしくそれなりにだが垢抜けた服装であったと記憶する
※ おいらのクラスメートで大学時代の友人、ヒバゴンはざっとまあこんな奴だった。
一応おいららが通った大学は名古屋市内にあり、知名度だけは全国レベルだけあって、地方からやってくる学生は、地元の学生よりもかなりお勉強がお出来だった。ヒバゴンもそこそこ偏差値が高く、語学など俺レベルになら、充分家庭教師替わりが勤まり、重宝させてもらった。田舎モンはおしなべて優しいというエピソードを改めて思い知らされた一幕だ。
大學2年の時、気心の知れた仲間5人でヒバゴンの実家を訪れたことがあった。その時代高速道路は岡山県の手前までしか通じておらず、兵庫県から、広島の人跡未踏の奴の実家まで国道2号線?をひた走って訪れた覚えがある
人跡未踏などと大袈裟な言い方をしたのはなぜかというと、ヒバゴンの実家の村は当時、その面積はそこそこの市に匹敵するほどの大きさに関わらず、信号機が1つしかないと奴が豪語したからだ。今になって考えるに何故奴が豪語したかといえば、その信号機が奴の生家の目の前にあったからだろう。平たく言えば村の中心地に立つ自分の実家を、自慢したかっただけに違いあるまい。
また奴の実家は、村でただ唯一の雑貨商で、その営業内容は多岐にわたっていた。雑貨屋はあくまでも小金を稼ぐための手段であり、その最大の収入源は、トラックによる運送業務と、冠婚葬祭だと自慢した。奴は田舎モンの分際で実は村1番の御曹司だったのだ。
おいらたちが遠路はるばる訪れたにもかかわらず、奴の母ちゃんは仕事が忙しいらしく、息子の悪友になど構っていられないようだったが、晩飯だけは奮発して御馳走を用意してくれた。そのなかの一品に、海から遠いはずなのに旨そうな白身の刺身がてんこ盛りで用意されていた。魚に目がないおいらがヒバゴン母ちゃんに、慇懃無礼なほどの敬語を駆使して「お母さま、このお魚は一体どういったお魚でございましょうか?」と質問を投げかけると…
「ワニだ」…ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
「ワニ?わに?鰐?いったいこの村はどういう村なんだ?鰐の養殖でもしているのか?鰐皮はハンドバッグかベルトに使うのか?」
するとその時ヒバゴンは間髪を入れず
「ここら辺ではサメの事をわにっていうんだ」といつになく流暢なヘロ島弁で説明してくれた。クソの役にも立たない変な知識だけ身につけていたおいらは、その時「因幡の白兎」の昔話を思い出した。姑息なウサギがサメの頭を飛び移り海を渡ろうとして失敗するという例の話だ。確かあの話の中でサメの事をワニと呼んでいたのを思いだし、ヒバゴン母ちゃんに自慢すると、おいらの株は、ジャックと豆の木の豆の木のように急上昇した。その時食したサメの身は確かに旨かったが、僅かにアンモニア臭がした。しかしその効果が防腐作用につながるため、山間部の村まで広がったのだろう。
次の日、奴の村を散策して一番驚いたのは、名ばかりではあったがスキー場が存在したことである。お椅子に跨りぷらりんこのリフトは流石に設置されてはいなかったが、ロープT(といったと記憶する)と呼ばれたお股にTの字のバーを挟んで地面を滑りながら登るタイプの昇降設備が設置されていた。
そしてそのコースレイアウトは、短いながら超上級、いや超ド級のコースだった。驚きの念を隠せないおいらたちに対し、当のヒバゴンはといえば、「こんなコース、ここら辺のガキはみんな物心がつく頃から平気でブイブイ直下るのが普通だ」と事もなげに言ってのけた。
その真偽のほどは、その後みんなで訪れた八方尾根スキー場で実証された。名古屋出身グループの、おいら以外の自称トレンディボーイの二人は、いつもスキーなら俺に任せとき!と言わんばかりの鼻息で自慢たらたらたらりんこちゃんだったが、長野オリンピックの滑降コースに使われた斜面をヒバゴンは、1度もコケルことなく、たらりんこちゃんたちや、周りのスキーヤーのほとんどを置き去りにして瞬く間に滑り降りて行った。
その時スキー経験2回目だったおいらはといえば、アメリカの漫画に出てくるあれだったという説明のみで想像がつくだろう。ヒバゴンは麓のリフト券売り場の前で「もう待ちくたびれて眠た~い」とでも言わんばかりのドヤ顔で、日頃田舎モン田舎モンと、罵られ罵倒され続けた仇をここぞとばかりに打ちかえした。人間隠れた才能の1つや2つは誰にでもあること、皆の衆も理解できたことだろう。
そんなヒバゴンとの別れは、悲しいほど滑稽な出来事だった。おりこうさんのヒバゴンは、教員資格も取得し、優秀な成績で4年で卒業を迎え、俺以外の4人の(勉強熱心だったおいらは5年の長きに渡って大学へ通った)ささやかなフェアウェルパーティーが、ヒバゴンの下宿で開催された。それは、ほぼ闇鍋に近い鍋パーティーだったと記憶する。卒業すれば実家に帰り家業を継がねばならないヒバゴンは、おいらたちと別れるというよりも、都会暮らしと縁を切らねばならない悲しみから荒れに荒れた。5人で日本酒2升、ビール20本ほどと、ウィスキーも少々(おいらとヒバゴン以外はほとんど下戸)飲みに飲みまくったヒバゴンは、帰りたくないよ~と泣き叫び、突然素っ裸になったかと思ったら、周りが止めるのを無視して裸足で表に飛び出していった。
若い皆さん、ストリーキングという言葉をご存じだろうか。昔の東京では、ホコ天と呼ばれた歩行者天国の会場を、突然素っ裸になって歩く破廉恥な行為が流行した時期がある。(公然わいせつ物陳列罪などと呼ばれた罪名を、誰もが普通に理解していた)まさに奴は時代遅れなストリーキング行為を実践して見せたのだった。慌てて毛布か何かを握りしめ、ヒバゴンの後を追った残りのおいらたち4人の事をあざ笑うかのようにヒバゴンは、滂沱の涙を流しながら約30分ほどの間、夜中の静寂を引き裂くほどの雄たけびをあげ走り回ったのだった。
当初は事の重大さに驚いて、必死にヒバゴンの後を追ったのだが、その後ろ姿が余りにも滑稽でツボにはまったおいらたち4人は、万歳三唱を繰り返しながら、奴の跡に続いたのだった。
走ることによりさすがのヒバゴンも酔いが回りゲロをまき散らしながら下宿に戻ったゲロゲ~ロは、ステレオ最大MAXのROCKの調べを気に留めることなく寝落ちした。暫くするとご近所の部屋の明かりが一斉に付きだし「警察に電話するぞ~や、何時だおもっとんじゃこのクソガキ~」の怒号が辺り一帯から鳴り響いた。
その後素早く、ステレオの主電源を落とし、あらゆる電気を消して居留守を決め込むと、間もなく周りは何事もなかったかのような静寂の中へと帰っていった。
すぐ後暗闇の中でヒバゴンに目をやると、奴はネゲロを喉に詰まらせて苦しそうにしているではないか?そのときおいらは、本日2回目の???が頭をよぎった。
「このまま奴を放置したら江利チエミの二の舞だ、ヒバゴン母ちゃんに申し訳が立たない」その一心から人生8度目の救急要請を行い、間も無く呼びつけた救急車で搬送されたヒバゴンは、急性アルコール中毒で3~4日の入院を余儀なくされた。
退院後、ヒバゴンは、悪びれる様子も見せずに元気で名古屋を後にした。その後野郎に会う機会に恵まれてはいないが、正月の年賀状だけは変わらずやり取りしている。
奴の年賀状には毎年決まって判で押したように「元気にしてますか?」とだけ書き記され、結婚したかも、子供が出来たかも未だ謎のままである。ヒバゴンにとっての俺の存在意義などまあ、そんなところかもしれない。残念だが…
[完]