ふんじょうけ
この画像何だかおわかりですか?
井戸 ? いや違います。
肥溜めと呼ばれた肥壺です、最近とんと見かけませんね。
終戦後、GHQの占領下だった時代公衆衛生法に基づき下肥の肥料としての使用が禁止されたことで、日本の農家から肥溜めは消えました。
これは単に進駐軍が、自分達の食べるレタスや何やらに人糞を使った肥料が使われることを毛嫌いした結果の出来事とも言えます。
しかし一方で、赤痢などの伝染病、寄生虫問題がかなり改善されたという利点は見逃せません。
昔の子供は一年に一度、学校教育の一貫として検便を提出するのが当たり前で、それに引っ掛かった生徒には、通称虫下しと呼ばれた内服薬が処方されました。
「生野菜は食うな」というのが一般常識として捉えられていた背景には肥溜め問題が関与していたからかも知れませんね。
話しは戻って1960年生まれの私が小学校の高学年の頃、遊び場だった河川敷の土手の下に広がっていた畑の中には肥溜めがその姿を止めておりました。そしてそれは、すでに使われなくなった過去の遺物などではなく、発酵の進んだその内容物が、人生で初めて嗅ぐような異臭を放つ代物でした。
今からお話しする悲劇は決して私自身の身に降りかかった出来事ではないというのを、先ずはお含みおき下さい。
ある時、肥溜めの所有者である、見ず知らずの某水呑み百姓氏が、回りの目を気にしてか、粗末な作りの木蓋をこさえ他人の目をごまかすという姑息な手段に出た為、同級生の一人がまんまとその罠にはまり肥壺の餌食になるという出来事が起きました。
膝上ぐらいまで肥溜めに浸かったA君(彼の名誉を重んじて仮にA君とさせていただきます)は、そのお釣りを、上半身のみならず顔面にもくらい、周囲の目を一気に引き付け畑の中で突っ伏しました。
数秒の後、何を思ってかA君が薄ら笑いを浮かべながら立ち上がった記憶が甦ります。
関東地方では、こういう不幸者に投げ掛けるお約束の言葉
「エンガチョ」
っていうんでしたっけ?
私の故郷はそれを
「フンジョウケ」
と言います。
汚物にまみれた不浄の者に対して、「フンジョウケ」
と叫びながら右手の人差し指と中指をねじりながら指差し
「指切った」
と収めるのが
お決まりの作法でした。
そうすることで自分は難を逃れることが出きるというお約束の行為だったんでしょうね。
A君はその後、皆からおいてけぼりを食ったので、一体どうやって自宅まで帰りついたか知りません。
そしてA君の母君のその時の怒りは怒りだけにいかばかりのものだったことでしょう?
その後A君はしばらくの間みんなから一目おかれる存在でした。
そしてそのとき目にした薄茶色に変色したズック靴を、A君がかなりの間履き続けたことも今となっては忘れ得ぬ出来事です。
最近の子供は、アレルギーやアトピー性皮膚炎、シックハウス症候群等に悩まされる子が少なくありませんが、昭和40年代ぐらいまでに産まれた子らにそれらの症状を訴える者は殆んど見かけませんでした。
この原因は、食生活の変化、特に残留農薬等の問題が大きな要因だと思われますがその一方で、化学肥料の使用も多大な影響を及ぼしているのではないでしょうか?
汚い話で恐縮ですが、人糞を
完全発酵させて作られる下肥で育てた露地物の野菜なんかを食べ続ければ、昔のクソガキのように根本的な体質改善が期待できるのではないでしょうか。
寄生虫が湧いたり、伝染病を患ったりするのは、充分な発酵がなされていない肥を使用するからであって肥溜めで約70度まで完全発酵させた物を使えば細菌も寄生虫もほぼ100%死滅するらしいです。
話が長くなってしまいましたが、誰しも「フンジョウケ」と呼ばれる経験を一度や二度することは、人生の肥やしになると断言していいのでは
あ~りませんか?