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帰省で感じた&考えたこと 2024夏

私の事業は「地方出身者による遠距離介護の苦しみを減らしたい」という事が発端であって、それを医療や介護とは別のアプローチでなにかできないかというのが大学院に通っていた時から一貫してある。

元々の構想のハードルを考えた時、まずやりやすいところを切り出して始めてみたのが「声のアルバム」だが、どちらかというと個人の心の平穏というか「親との残り時間をどう過ごすか」→これを「子自身が意識するきっかけ」になればという心持ちでやっている(というかそうなった)。死んだ後では伝えたい事もやればよかったもできない。要は自分の選択を自分自身が納得して受け入れられるのか、それが生きるうえで大事になってくるんじゃないかと(ただ何をやるやらないは家族により千差万別、距離を取り続けるのも間違いじゃない)

…とこんな事を都会にいて考えていても、実際地元に帰って親の老いや地域の状況を目の当たりにすると、こりゃ時間ありませんよという事をヒシヒシと感じる。まだ大丈夫だが、もし今親が要介護状態になったら、、

もっと分かりやすく今の困り事を解決するサービスのほうがいいのか…?ではなぜない?→民間事業だとどう考えても不採算にしかならないから。
公共交通にしろスーパーにしろやっぱりこれだ。善意だけではどうにもならん

幸いにもというかまわりに遠距離介護(名古屋↔︎山口)を10年やって実家の売却まで済ませた方、現在遠距離介護実施中(東京↔︎山口)でアレクサなど文明の利器を駆使しながらやってる方など色々な先輩にヒアリングをさせてもらった。(みんな「自助」をめちゃめちゃ頑張ってる)世の中にはこういう人達が沢山いて、それこそブログやSNSで励ましあったらしい。ここでも多分、コーチング的な話はあって「ただ話を聞いてほしい」人と「具体的なアドバイスが欲しい」人は分かれていて、それは介護のフェーズだけでなく自分の状態、親や取り巻く環境の状態などで日々変わるだろう。となると、「聴く」という部分での受皿はやっぱり必要な気がする。

課題がある人、求めている人は確実にいる。
やっぱり伝え方をもう少し考えねばならない

【帰省で感じた&考えたこと 2024夏】
・今後介護で通うとなったら大阪から片道5時間。接続ダイヤが悪すぎる。JR西もうちょっと考えて
・公共交通が不通となった場所はあっという間に廃れた空気が流れる(過疎っぷりが加速)
・車が運転出来なくなるとやはり致命的。暮らしていけないだろう
・海沿いの魚がおいしい町だがスーパーが本当に各町から撤退してるので運転出来ない高齢者には厳しい。肉は冷凍で何とかなるとして、お年寄りはお刺身食べたいだろうな
・育児と介護がバッティングする人が相当増えるだろう。心も体も、お金も相当キツい

・親も歳をとるが自分も歳をとる
・やっぱり自分の親とはケンカになる(フラットにはなれない)
 しかし言い合えるのはまだお互い元気な証拠
・そしてやっぱり永遠に終わらない実家の掃除

・食事処や店で帰省したような20代ぐらいの青年が、杖をついたおばあちゃんの介助をしてるのを数件見た。まだ3世代同居が普通に多い地域なので、幼い頃から年寄のいる生活であり、敬う心が普通にある。田舎の子は老人に優しい
・地元を離れてる友人達も、ふるさと納税は結構地元にしている。帰るということはできなくても育った町に何かしら恩を返したい気持ちある
・年齢を重ねて理解できるもの(目に見えないものも含めて)が増えてきた
・仏壇や墓が全然怖くなくなった。むしろたまには化けて出てほしい

・(私の場合はだが)通信と電気がつながりさえすればある程度の仕事はできる
・ずっと住むという選択はしないと思うけど
住みたい気持ちもある
・この景色の中でこの土地のものを食べて育ってきた。
 地元の海はやっぱり美しい

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