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声のアルバムの原点① ~父が倒れた日

私が起業した経緯は、以下の記事が分かりやすいかと思います。
https://www.projectdesign.jp/articles/54cfc092-0959-4831-8e44-82ba92307876

noteではもう少し、気持ちの部分を補足できればと。

私は18歳まで、山口県の典型的な地方のまちで育ちました。
地方の子は、多くが18歳で家を出ます。私は大学への進学でしたが、大半の友人も進学や就職などで家を出て強制的に一人暮らしを始めました。はじめはおっかなびっくりだった都会での生活も、1年もすればすっかり慣れ、テレビや雑誌で見ていたスポットに簡単に電車で行け、流行りの洋服を買い美味しいお店もハシゴができる。すっかり都会の生活に魅了されていきました。そのまま大阪の小さな広告代理店に就職しましたが、24歳の時に人生の転機が訪れます。

忘れもしない、11月の誕生日の数日後。母からかかってきた電話は「お父さんが倒れた。もたないかもしれない」というものでした。
何の事かもよくわからないまま、大阪に住んでいた従兄弟の車で深夜に8時間かけて山口に戻りました。脳梗塞を起こし家で倒れた父は脳幹という中心部分を詰まらせたようで、医師によるとここ数日がヤマだと。その頃は同居していた祖父母もまだ元気で、弟は高校生だったし突然倒れた一家の大黒柱に全員がオロオロしている状態でした。すでにその頃不協和音が出始めていた親戚も集まり、容体を見守る日が数日続いた後、どうにも出血が止まらない部分があり、手が施せないかもしれないが手術してみるか、助かる見込みがないなら痛い思いをさせるよりこのままにするか、という選択の時がありました。結果、家族と親族との話し合いのすえ手術を実施し、これが功を奏したのと、本人の生命力が強かったのだと思いますが、一命をとりとめることができ、ここから5年間の入院生活となりました。

一命をとりとめたとはいえ、全身麻痺状態で動くのはわずかに指と、まばたきのみ。話すことも食事もできず、痰の吸引もしてもらわないと生きていけないので、始めは24時間誰かが側についているというローテーションを組むことになりました。公務員だった母もまだ仕事をしていたし、代理店の仕事もなんだかなぁと思っていた私は仕事をやめ、ひとまず実家に戻る事にしました。そこから1年、9~17時の仕事のような感じで病院に通いながら、父の様子を見るという生活が始まります。

と言っても、何をしていた訳でもないです。看護師の人が朝持って来てくれる蒸しタオルで顔を温め、ひげを剃ったり、浴衣やタオルの洗濯をしたり。リハビリは関節が固まらないようにだったり、口も動かせないので口腔内のマッサージもあったりと、3人の理学療法士さんが来てくれていました(一人は高校の同級生でした)。日々のケアや身体を拭いたりオムツの交換は全て看護師さんがしてくれたし、苦しそうならナースコールのボタンを押す。いらないといえば、いらない要員だったのか・・。

ただ、まだ父も、私達子どもも若かった。まわりで入院している脳神経科の患者さんはほとんどが高齢の方で、もう完全なる寝たきり状態でたまにご家族の方が洗濯物の交換をし、少し話しかけて帰るというのが普通だった。このまま一人で病室に置いておくのは絶対に良い方向には向かわないだろうと、本人がどこまで分かっているかは分からないけど、刺激を与え続けることは何か脳に良い影響があるんじゃないかと、ずっとじゃないけど話しかけたり、リハビリのまねごとをしたり、父の年代の歌をカセットテープに録音して病室で流したりしていました。
しかしながら、まだ24歳の若い女の子が、仕事もせずに1日病室に付き添いでいる。「やさしい娘さんやね」と言われる事も多かったけど、正直不思議に思う人もいただろうな・・というのは今でこそ思います。それに、なんていうかうちはそこまで家族愛に溢れる家庭や親子だった訳でもなく、むしろ問題だらけの家族でした(これは現在進行形とも言えますが)。だけどその時の私は、なぜか「今私がやるべきはこれだ」とものすごい直感があった。「いい娘」とか「二度と父に会えないかもしれない」とかそんな感覚ではなく実家に帰った事ははっきりと覚えています。

・・・いま、ここまで当時の記憶を書き出してみて、結構忘れていたシーンだとかもいろいろ思い出してきました。
これは声のアルバムのインタビュー最中にも頻繁に起こることで、サービスの大事なポイントでもあります。とてもこの1投稿でまとめられそうにないので笑、これは私の回顧録の意味も含めて少し長いスパンでやってみようかと思います。

この時からこれまでの約20年、私や家族に起こった出来事、地方出身者の葛藤、家族であり子供だから感じた気持ちというのがこのサービスの原点であり、そして一生考え続ける問い=ライフワークになると実感する日々です。
日曜の夜に、過去の私と向き合い、続きを書いてみたいと思います

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