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ワクチンの話

ネットには沢山の悪いニュース、良いニュースがあふれています。
その中でもワクチンは大きな問題になっているようで、TVでも取り上げられているのでしょうか?私は見ないので知りません。
ツイッターでも同じく、この今の段階で 子供が打ちたいのに親が毒親で打たせないとかマジヤバ みたいなものをまだ見ます。
そこに続くのは大体、こっそり打てばいいのにとありますが、書くのは簡単ですよね。
残念なことにこうした話は当人には届きませんから、その人がどうなったのか知る由もありません。子供さんは打ってしまったのか、それとも回避したのか。
この問題について、こうして書いている私は反ワクと呼ばれる人物ですが、私自身はこうした問題にタッチしませんし、現実の世界でこうした話が紛れ込んでも無視するか、すでに止めることはいたしません。
もうそのフェーズではないですし、この段階で打つ人はそれが必要であると考えた方が良いと思うからです。
大変優しい方たちもおられ、必死で止めている方もいるでしょう。それはそれで素晴らしいことで、きっと助けになるでしょうし考えるきっかけになるはずです。なのでこうしたことも私は悪いとは思っていません。
さて、ここで推進している人たちに感じることがあって、医療者だと特に思うのですが、打ってしまって何もなければ無問題です。しかし結果としてなんらか状態が危うくなった時にはきちんと対応してあげて欲しいものです。
そうしたものを沢山見ます。あげく精神病なんて言われては悲しいですよね。
安易に進めて具合が悪くなったら、都合が悪く逃げ出すなんてことがないとも限りませんし。
もちろん打った人の責任でもあり、進めて撃った人の責任もあるでしょう。そのあたりがうやむやにされているような気もしますし、データになければ病気じゃないといわれてしまえば不信感しかありません。
子供のワクチンに話を戻しましょう。さてこの子供さんは沢山勉強をしたと書かれていました、けれど親御さんは副反応が怖いからという理由で止めているとか。それはそうですね、自分の子供が辛い状況に置かれることを良しとする親はいません。
では解決はあるのでしょうか?私たちがこうしてネットでごちゃごちゃいうところには一切ありません。この家族の問題で、どちらにしろ面倒を見るのは親なのだからが結論でしょう。
毒親と言われようが、具合が悪くなるかもしれない、それが未来まで続くかもしれない選択を勝手にはできません。そして子供がいずれ勝手に選んだとしても親は受け入れるしかありません。面倒を見るのはその人です。
ネットではありません、それとも誰か優しい人がすべてを背負うのでしょうか?不思議ですね。
毎日救急車の音が聞こえると、無事であるように祈ります。それくらいしか私たちにはできません。
三年も過ぎて四年です。もう自分の頭で考える時間は過ぎています。
TVをよく見ている人と話すとTVの話題が多いです。沢山情報がありますが、それに価値はありません。私も以前は見ていましたが、どれほど考えることをしないのかよくわかります。
そして上手に色んな所にそれが詳しく書かれている。けれど私たちは見たいものしか見ないため、必ずすれ違います。
問題の子供さんも一生懸命ワクチン推進派の人が書いたもので勉強したようです。それは素晴らしいことです。何にも熱意を持つことは必要です。
けれどそのお子さんは親御さんが何故怖がっているかにも目を向けなくてはいけません。片方だけではだめですが、気づけるでしょうか?
大切なのはどちらを選ぶにしろ、どちらの情報も見てみることです。
が、当人には届きませんし、私は関わるつもりもありません。
多くの人、私のような人は多いはずです。
自分で気づかなければ意味がありませんからね。
もう大勢が気が付いて567ワクチンについては懐疑的らしいですが、本質に気づけるにはもう少し時間が必要でしょうか?
陰謀論の話ではなく、そうしたものを目にするからです。
本当に、陰謀論ならどれほどよかったでしょうかね?