呪い

3年前に家出した母は、近所にアパートを借りて一人暮らしをしている。家族の食事会にも来るし、私の結婚式にも出席した。ただ、今までのように父と妹の住む家には帰らない。それだけが3年前までと違うこと。

母は金銭的に困っている。そのため、しばしば父が不在の間に家事をして、父からお小遣いを貰っている。もちろんそれだけでは生計が立てられないため、アルバイトも掛け持ちしている。50歳を過ぎて始めた、初めての一人暮らし。少々無理をしているのが心配なものの、隣人に野菜をもらったり、バイト先で賞味期限切れのインスタントコーヒーをもらったり、自力で生き抜いている。

父は非常に理解がある方の人間だと思う。今までと同じように家事をする母へ突然お金を支払うことになっても、その点については特に咎めもせず受け入れた。

母はとにかく父に会いたくないので、生活費を稼ぐため9連勤しようが、ウォシュレットのない冷たい便座に座ろうが、夏になるとゴキブリが毎日玄関で死んでいようが、今まで使っていたDiorの化粧水がドンキで一番安い化粧水になろうが、絶対に家には帰らない。

原因は、娘たちには多く語らない。どうやら根深いようだ。
ただ、いつも私を見下すような態度が怖かった。仕事から帰ってくたくたになって他愛ない話を娘たちとするとき、無言でテレビの音量を上げたり、巻き戻したりする仕草が怖かった。と言う。簡単に言えば母は父にモラハラを感じていた。そして、それは20年以上に渡る。

父は、言われないと気がつかない。それはモラハラという側面で言えば、無意識こそが罪であるのかもしれない。たしかに、父はいつも理性的で論理的で、感情を大切にする母のことを心の底からは理解できていないようだった。


いつか、朝昼晩の食事という概念を捨てて、食べたいときに食べる生活をしていた(家族に強いることはしなかった)母に対して、ママは植物みたいだね。と言った言葉が、母を大きく傷付けたことがあった。
それは、その言葉が、ただその言葉だけではなかったことを表している。その頃には既に、父のどんな言葉も、母にとっては鋭利で、自尊心を大きく傷付けるものだった。


娘たちはまだその頃、自分たちに夢中で、そんな母には気が付けなかった。


父は父なりに愛を持ち、人並みに家族を愛す。
一方で、常人には敵わぬ、並々ならぬ理性を持つ。阪神淡路大震災で部屋がめちゃくちゃになり、食器棚が倒れすべての割れ物が床に散乱し、ドアがひしゃげて閉じ込められたときも、冷静沈着、突進してドアを開け、狼狽する母を宥めた。そのとき母は、本当に頼もしいと思い、心から尊敬したという。

会社が半分倒産したときは第一線となり、かつての仲間に恨まれていつどこで刺されてもおかしくない人事を決断したこともあったという。
私がこの目でその偉大さを実感したのは最近で、実弟の葬儀で涙ひとつ流さずに喪主をつとめた姿だった。父は、弟の棺桶と同じ部屋にいながら明け方パソコンを開いて仕事をしていた。初めはその神経を疑ったが、父は誰も見ない場所で泣いていたという。もちろんその姿は見ていない。

葬儀などの期間、父は、父の父母弟、三人の家族が住んでいた家に、一人で寝泊りをした。翌日からは家を片付け、後継のいなくなった呉服店の片付けにも手をつけた。親戚を集め、想像以上の速さでことが運ぶ。「会社を何日も休めない。」家族との別れをいつまでも愛でる時間もない。限られた日数で、予定通りの段取りで思い出の実家もすべて、片付けなければならないのだ。感傷に浸る時間は、会社を休める間だけであり、その間もひっきりなしに届く社用メールに目を通さねばならない。
当たり前だが、そんな状況にも父は弱音を吐かない。(これはまた別の話だが、それには次女の存在も大きい。)

そんな父なのである。

母は昔から天真爛漫。祖父のお墓参りの帰りに、紫陽花の葉に乗っていたカタツムリを拾ってきて、虫嫌いの次女に怒られた。私が学校から帰宅すると、突然ウクレレを弾いていて、「明日からウクレレ教室に通うんだ〜」と言う。かと思えば、サックスとジャズピアノを習いだす。幼少期にクラシックピアノを習っていた反動と、母の父がジャズを好きだったことから。また、吹奏楽部で仕方なくクラリネットを担当していたが、本当は定員だからと退けられたサックスがやりたかったと言う。気がつけばウガンダにいた。ウガンダで何をしているかと言えば、小学校でジャズライブ。そして、なんのボランティアか不明だが、消防車を納車している写真が届いた。

そんな母なのである。

例えるなら母は純文学、父は大衆文学が好きだ。母はフランス映画、父はアメリカ映画が好きだ。母はジャズが好きだが、父はJ-POPを聴くだろう。母は隣の公園に咲く紫陽花を愛でるだろうし、父は花を求められればリボンで飾られたブーケを買ってくるだろう。


性格が違う。

ただ、それだけのことだった。


父は今でも母を好きだし、そうして言葉にするけれど、母は既に呪われてしまったらしい。この20年以上の生活で、父の言葉も気持ちもすべて、受け入れられなくなってしまった。
そして母の言うことも、娘にはいちいちわかるのだった。私は、純文学とフランス映画とジャズと隣の紫陽花が好きな女である。


ときどき、ひと事のように感じるときがある。

家族なんてもともと、同じ屋根の下に住んでいるだけで、形なんてないのであって
強い繋がりがあればそれはそれで、同じ屋根の下にいなくたって家族は家族。
本当の家族は散り散りになったって家族なのだ。
そう思えば今の形だって、新しい家族の形だと思う。


だけどやっぱり父の気持ちに寄り添うと苦しい。
母は幸せそうだが、金銭面では逼迫しているので、少なからず心配でもある。(かつてDiorの上顧客だった、数万円の化粧水を使う女とは程遠く、私があげた使いかけのドンキホーテで買った化粧水を喜んで使っている。ただ、とても幸せそう。)


不思議なもので、夫の父母も似たような関係だった。離婚調停に縺れたものの、お父さんの急逝で幕を閉じたのだが。

夫と、互いのこれについて話したことは数えるほどしかないが、結局、話したところでどうにもならない、というのが結論である。
当人たちにしか解決できないのだから。


だからせめて私は、親に感情移入したくない、とただ思う。


夜中にこうして、涙が溢れてしまうことがある。泣きたいわけじゃない。顔が浮腫むので、出来るだけ泣きたくないのだが、不可解な仕組みだなと思う。理由について考えるけれど、悲しいとか、苦しいとか、そういう自分のことじゃなく、同情が一番近い気がするのだ。親だって、同情なんてされたくないだろう。わかっちゃいるけど不思議なもので。

冷静な頭は父に似て、止められない涙は母に似ているんだろう。

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