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日暮里「寶珠山延命院」

創建:1648年(江戸初期慶安元年)
開基:三沢局(徳川幕府第四代将軍徳川家綱の乳母)
開祖:恵照院日長

七面大明神を守護する別当寺として、新堀村(現在の日暮里)に開創。山梨県身延の七面山に百日参籠し、霊夢をこうむり、祈祷法と七面大明神の鱗を授けられた日長が、寛永17年(1640年)、三代将軍家光から安産の祈祷を命じられ、翌年家綱が誕生したことを受けて建立が許された。社殿等は残らず大奥から寄進された。慶安4年の家綱の将軍就任後、徳川家の永代祈願所となり庇護される。

七面大明神

延命院の七面大明神には体内に1650(慶安3年)法寿院日命が願主となり、仏師弥兵衛の手で作られたことを記した名分がある。秘仏とされ、七面堂に祀られている。これにちなんで、門前から宗林寺方面に下る坂は「七面坂」と呼ばれる。

延命院のシイ

東京都指定天然記念物。樹齢600年を越えると言われる。1863(天保7)年開板の『江戸名所図会』巻五の「日暮里惣図(ひぐらしのさとそうず)」には、現在地と思われる位置にシイの姿が描かれている。1855(安政2)年の江戸の大地震によって堂宇は東海したもののシイは生き残り現在に至る。かつては樹高16.2m、幹周り5.5mの巨木だったが2002(平成14)年5月に幹内部の腐朽が原因で南側の太枝が崩落し現在の樹形となっている

延命院事件

延命院事件は、日潤上人が幕府権力とつながった女犯の容疑で処刑とされるが、正しくは江戸城内の御本丸大奥と西丸大奥の権力紛争によって捏造された事件だという。1803(享和3)年の延命院事件を題材にし、後に河竹黙阿弥の「日月星享和政談」によって脚色劇化された。1878(明治11)年、第五世尾上菊五郎と第十二世守田勘弥が東京新富座において歌舞伎「延命院日当」を上演するのにあたり延命院第十六世行硯院日潤上人(=通称『日当』)追善のため建てた碑がある。

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