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小石川「吹上坂」

小石川、小石川植物園に直行するように走る坂である。坂下に共同印刷、播磨坂の南東を並行するように走る。坂上は254号線、茗荷谷に出る。

このあたりをかって吹上村といった。この地名から名づけられたと思われる。吹上坂は松平播磨守の屋数の坂をいへり(改選江戸志)。なお、別名「禿坂」の禿は河童に通じ、都内六ヶ所あるが、いずれもかつては近くに古池や川などがあって寂しい所とされている地域の坂名である。
この坂も善仁寺前から宗慶寺・極楽水のそばへくだり、坂下は「播磨たんぼ」といわれた水田であり、しかも小石川が流れていた。
この水田や川は、鷺の群がるよき場所であり、大正時代でもそのおもかげを止めていた。
雑然と驚は群れつつおのがじしあなやるせなき姿なりけり
古泉千樫(1886~1927)

昭和61年3月 文京区教育委員会

坂下は「旧白山御殿町」とある。

旧町名案内 旧白山御殿町(昭和41年までの町名)

町の大部分は、白山錦級の跡である。
承応完年(1652)館林藩主徳川綱吉が、別邸を与えられた。ここは白山神社の鉱座地であったので、白山御殿(小石川御殿)と称した。綱吉が五代軍に就任後、御段は廃止されて幕府の御薬園となった。それで付近の土地を併せて白山御殿跡地と称した。
周辺を合併して明治24年、新たに町をおこした。町名は、俗にいう白山御殿跡から白山御殿町とした。
小石川薬園は、明治10年、東京大学付属の小石川植物園となった。また、江戸時代小石川養生所が薬園内に開かれた。青木昆陽が甘藷の試作を行なったのも、この薬園内であった。

文京区 旧町名案内


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