灰色の幽霊
その栗毛の競走馬は速かった。
デビュー戦を圧勝し、一時は調子を落としたものの、すぐに連戦連勝を重ね、目覚ましい活躍を見せた。
しかし、彼には一つの悩みがあった。
レース中にどこからともなく現れる葦毛馬の存在だ。
いつも見えない速さで彼を追い越し、一度も彼が追いつくことはなかった。
「どうすればアイツに勝てるのか」その栗毛の競走馬はいつも考えていた。
デビュー戦――彼は、一心不乱に驚異的なスピードで走り先頭でゴールした。周りなど見えていなかった。
次戦はデビュー戦を圧勝した余裕から、ゲートに入る前に落ち着いて周りの馬を見渡せた。
ゲートに収まり、ふと横に目をやるとそこには見たこともない葦毛馬がいた。
それが、アイツとの最初の出会いだった。
栗毛の競争馬は、突然現れた葦毛馬に驚き動転し、ゲートの中で暴れてしまった。
幸いレースに参加できたものの栗毛の競争馬は大敗を喫した。
それからというものレースの度にアイツは栗毛の競争馬の前に現れた――
彼が先頭に立つと、どこからともなくアイツが忍び寄り抜き去ってゆくのだ。
巷では世紀の対決ともてはやされたあのレースでも、「アイツ」のことばかり考えている栗毛の競走馬の眼中に、ライバルたちが映ることはなかった。
レースの終盤、ライバルたちとのデッドヒートの最中、やはりアイツが現れた。
あっという間に彼らを抜き去り彼らの前を走った。
栗毛の競走馬は必死に葦毛馬に食らいつき、あと一歩のところでレースを終えた。
結果的に見れば世紀の対決は、栗毛の競走馬の圧勝だった――
そして迎えた大一番の日、彼は万全の態勢を整え、これまでにない集中力を発揮し、葦毛馬に勝つことだけに全力を注いだ。
彼の視界には、いつも通り葦毛馬が映った。
「ガシャッ!」
ゲートが開く。一斉に馬たちが駆け出した。さすがに大レースともなるとどの馬も澱みがない。
栗毛の競走馬は、持ち前のスピードを活かし大きく先頭を疾走した。1,000mの通過タイムに観客席が大きくどよめく。
栗毛の競走馬に焦りや迷いなど微塵もなかった。淡々とレースを進め、遂に最終コーナーに差し掛かった。
「来る!」
その刹那、アイツがやってきた。あっという間に馬体を合わせられた。
栗毛の競走馬は脚の回転を一段上げ、葦毛馬に並走する。いつもは離される馬体をジワジワとすり寄せた。
「行ける!」
栗毛の競走馬は渾身の力を振り絞ってターフを跳躍し、遂には葦毛馬を捉え抜き去った。
その一歩が大地をつかんだ時、彼の脚から悲鳴が上がった。彼の驚異的なスピードに、もはや脚は耐えられなかった。
その瞬間、彼の生涯は終わった――
栗毛の競走馬は走るのを辞め、不自然に折れ曲がった脚を引きずりながらターフを去った。
しかし、去り行く彼の瞳はどこか満足げで、それが彼の生涯で最も輝かしい瞬間だった。