パブロフ
昼下がりの休日、どこからともなく聞こえてくる金属音に誘われて、私はふと足を止めた。
眼前に広がるのは、かつて自分が汗を流した高校のグラウンド。後輩たちが夏の大会に向けて猛練習をしている。
その学校は、全国に兄弟校がある大海山大学附属高校、そして甲子園の常連として名を馳せる「大海山大学黒山高校」。
この学校を見ると、あの思い出がよみがえる――
真夏の甲子園。初出場の「大海山大学藤木高校」の試合を実況するという重責が私に課されていた。
”大海山”といえば”黒山”だが、同じ”大海山”の冠を持つその高校に私は親近感を抱いていた。
かつて甲子園を目指していた私も今はプロのアナウンサー。公平な立場で全国の視聴者に実況しなければならない。
灼熱の甲子園の中で「大海山藤木高校」対「訓日高校」の試合は始まった。
試合は、まさにドラマのように展開された。
8回表、2アウトながら1,3塁、一打逆転のチャンスに大海山藤木の主砲が登場。
訓日高校のマウンドには野手が集まり作戦を重ね、ほどなく試合は再開された。
場内は息を呑む静けさに包まれ、私もこの重大な瞬間を伝えるために集中を高めていた。
そして、訓日高校のピッチャーが不意に見せた牽制ミス。
1塁へのボールは大きく逸れ、3塁ランナーがホームに帰り、1塁ランナーもホームを目指す緊急事態が発生。
牽制ミスを処理した野手からのホームへの返球も、悪送球になった。
私の興奮は頂点に達し、「あーっと、ボールが大きく逸れた。1塁ランナーがホームに帰りました」と叫んだ。
「ここで逆転、大海山”黒山”!」
!?
発した瞬間に気が付いた。やってしまった。
つい出てしまった言い間違いの言葉に、私の時間は一瞬凍り付いた。
「…”藤木”」
若干の間を置き、言い直すも後の祭りである。
その後、言い間違いを取り戻すべく、私は頭の中で何度も学校名を反芻しながら、なんとか実況を続けた。
しかし、そのテンポは明らかに悪く、自分自身もその間の気まずさを感じていた――
この学校を見ると、この思い出がよみがえる。
アナウンサーとしてのキャリアは続いているが、たまには言葉を間違えることもある。
これが人間のやることであり、AIにはできない芸当かもしれない。
ちなみにその試合の結果は、覚えていない。