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と、秋の空

「音大なんて無理だ!」父の厳しい声がリビングに響く。高校3年生のマリは、音楽大学への進学を夢見ていたが、父親はその夢に反対していた。「実力もないし、将来が不安定だ。もっと現実を見ろ!」と父は続けた。

「わかった、もういい!」とマリは叫び、家を飛び出した。まだ音楽を始めて数か月の彼女の心は純粋だった。涙が頬を伝う中、ただ前に進むことしか考えられなかった。
「おい、待ちなさい!」後を追う父も、必死で娘を追いかけた。
自分の意見が正しいと信じていたが、娘の情熱を思うと心が痛む。彼は過去に自分の夢を諦めた経験があり、その後悔が今でも彼を苛む。

二人の距離は縮まるが、父も娘も、互いに意地を見せつけるかのようにスピードを上げる。街を抜け、郊外の道を突き進む。
二人の追走は次第に本格的なマラソンのようになっていった。街を抜け、郊外へと向かう道すがら、偶然にもマラソン大会用の給水ポイントが設置されていた。ボランティアから手渡された水を、走りながら手際よく受け取り、飲み干す二人。その姿はまるで競技者のようであった。

マリが家を飛び出してから約3時間が経過し、速度もその間一貫して維持され、記録的なタイムで町を走り抜ける。
しかし、その疲労は彼らの体力を限界まで使い果たす。見知らぬ小さな町に辿り着いたとき、二人はもう一歩も走ることができなかった。疲れ切って、近くの小さなレストランに入る。

静かな店内で、二人は疲れ果てた体を休めながら夕食を楽しんだ。料理を口にしながら、父は「高校2年の秋から吹奏楽を始めたばかりで、音大に進むのは難しいと思うんだ」と静かに言った。

マリは、父の言葉に耳を傾けながらも、自分の夢を諦めたくない気持ちと、現実の厳しさとの間で葛藤していた。ふと、マリは新たな提案を思いついた。「じゃあ、私、マラソンでオリンピックを目指す!」と、少しの自信を見せながら言った。

確かに、自宅からこの見知らぬ街まで40キロ近くはあったはず。それを何の準備もなく3時間ちょっとで走り切った娘に一筋の光明が無い訳でもない気がした。

しかし、その言葉に父親は驚き、眉をひそめた。「マラソン?オリンピック?そんな無謀なことを言ってる場合じゃない!」と声を荒げた。マリは、「音楽がダメなら、マラソンで成功してみせる!」と反論し、再び店を飛び出した。

父はもう一度追いかけようとしたが、立ち止まった。娘の後姿を見つめながら、自分の言葉が再び彼女を傷つけたことに気づいた。しかし、今回は追いかけず、娘が冷静になるのを待つことにした。

夜が更け、冷たい風が吹く中、マリは一人で走り続けた。涙が再び頬を伝うが、今度は違った涙だった。自分の夢に対する不安と、父の言葉に対する反発が混じり合い、複雑な感情が胸に渦巻いていた。

やがて、疲れ果てたマリは再び家のドアを開けた。父がそこで待っていた。「おかえり」と優しく声をかけ、娘を抱きしめた。「お前の夢を否定するつもりはない。ただ、お前が現実を見て、自分に合った道を見つけてほしいんだ」と静かに語った。

マリは涙を流しながら頷き、「ありがとう、パパ」と言った。やがてテレビを見ながらリビングで落ち着きを取り戻したマリは言葉をつづけた。
「やっぱり私、アイドルになる!」
二人は新たな理解のもと、一歩ずつ前進することを決意した。
今度は急に走りだすことのないように。

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