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燐寸

眠みぃ。
只ひたすらに、眠みぃ。

眉間の奥が重たい。全く目を開く気が起きない。
頭がぼーっとする。耳に入る音が濁って聞こえる。

やっぱり眠みぃ。

「パチン」と空気を割く甲高い木の音が聞こえた。

彼の指す手がどのようなものであっても、私に影響はなかった。
今日は何かのタイトル戦だったはず。私がここに座ってから1時間になるだろうか。しかし、この対局で寝るわけにはいかない。

腕を組んだまま、少し首をもたげて考えるフリをする――
3分ほど眠てしまっただろうか、意識が戻ると少し上を向いてまた考えるフリを続けた。

ああ眠みぃ。本格的に眠みぃ。

ゆっくり薄目を開け盤面を確認する。局面など意識しなくとも無意識のうちに手番は進んでいた。その指し手に対戦相手も腕を組み顎に手をやり考え込んでいた。
再び、半分眠っているのを悟られぬように再び顔を少し上げ、腕を組み、瞑想するフリをしながら目を閉じた。

それにしても眠みぃ。段々意識が遠のいてゆく――

「参りました」

程なくしてその声は聞こえた。対戦相手が投了したのだ。

その声と同時に体がビクッとなり、私の頭はガクッと落ちた。
咄嗟に両手をついて、対戦相手にお辞儀をしたように装った。

入眠時ミオクローヌス――寝ているときにビクッとなる現象にはこのような医学的な名称がある。
そんなことは、今はどうでもいい。

対局は終了した。端から見ると、一切寝ていないように映ったはずだ。
もはや対局の勝敗などどうでも良かった。すぐにでもベッドに入って眠りたかったが、流石にそれを出来る空気ではなかった。

私は、リモコンを手に取りテレビを消した。

――1時間ほど前、私は楽しそうにオンラインゲームをしている娘から無理やりテレビを奪ったのだ。
今日のこの対戦を1か月前から楽しみにしていた事、この対戦がどれだけ大事か、戦う二人がどんな気持ちか、私がどれだけ大画面で真剣にこの対戦を見たいかを大人気ないと知りながら10分間にわたり訴えていた。
娘は渋々テレビを私に明け渡した。

まさか、ボクシングの世界タイトルマッチが翌週だったとは思わなかった。

そして、娘に10分にもわたって啖呵を切った手前、何の興味も無い将棋の対局を見るハメになるとは・・・

「寝てたよね。」

後ろのソファーで不貞腐れている娘の軽蔑した冷たい視線を感じる。

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