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足りない『自分』探しの旅
絵本作家を目指すにあたって、色々とアドバイスをいただいたり、勉強するなかで、どうも私には「自分」が足りないとの結論に至った訳ですが、「『自分』が足りない」ってどういうことなのか?」、そして今までの「自分」はなんだったのか?について考察しました。
⚫今までの「自分」とはなんだったのか
・イメージが作りだす「私」
・イメージからのアイデンティティー
・イメージと「私」とのギャップ
⚫「『自分』が足りない」とは?
⚫今までの自分はなんだったのか
イメージが作りだす「私」
私は一般的なサラリーマン家庭の長女として産まれました。性格は人懐っこくて活発な方。幼稚園ではよく先生のお手伝いをするのが大好きでその反面、怒られることには超敏感。兄がよく怒られているのを見ていたこともあり、したたかに、叱られないように行動する子でした。たまに(いや、しょっちゅう?)ドジしてましたが。
幼稚園卒園後、父のイギリスへの赴任のため、家族でイギリスへ引っ越しました。その後小学校の後半で今度はアメリカへ。日本に帰国したのは大学受験の時。日本を出てから、10年以上を海外で過ごしました。私を作るイメージはこの時の環境がほぼ全て。
帰国子女、英語ペラペラ、個性的なファッション、意見をはっきり言う、自由・・・・
気が付いたらそんなイメージが勝手に付いてきていました。
実際とは異なるイメージも多々あったような・・・。
イメージからのアイデンティティー
帰国後、避けて通れない「帰国子女」という説明。大学に入ればどうしても出身校の話になるし、海外生活が長かったので、共通の話題もない。そんな中、共通の話題を求めてからか、「帰国子女」の輪ができていました。でも共通点といっても生活していた環境は国や地域が違えば全く異なるわけで・・・自然と「帰国子女」の輪は互いの違いを理解し合いながらも、似たような境遇を一緒に乗り越える同士のような存在になっていたのかな、と今では思います。私がマメじゃないので連絡が途切れてしまった人も多いのですが、一緒に過ごした時間や話したことは強く印象に残っています。
少ない共通点にしがみつきながら、なんとか居場所を確保してきた大学時代は、これらの「私」のイメージを作り上げている言葉にしがみついた時期でもありました。これらの言葉で、「私」という存在が認められている、と思い込みたかったんだと思います。
中々苦しい時期だったな・・・。
イメージと「私」とのギャップ
大学の後さらに「文系の大学院生」というその当時は(今もかな?)強烈な属性も身につけた私。この後結婚、出産、ワーキングマザーと、次々と色々なイメージを付け加えていきました。
よく言われてたのは、「こもとさんって意外と面白いんだね」とか、「意外と天然なんだね」とか、「意外と」という言葉。私に付いているイメージは、どうも自分が思っている「私」という存在とは少し離れている印象でした。
そんな中、とにかく認めてもらおうと仕事はがむしゃらに頑張りました。先輩の背中を見ながら学び、出産してからは自分の立ち位置を確立するなど、本当に一生懸命やりましたし、とてもやりがいがありました。でもある時、当時の上司にふと言われた「こもとさんってさぁ、何を考えてるかわかんないんだよね」という言葉が私の胸に突き刺さりました。その時は、「え、こんなに頑張っているのに、伝わってないのかな」ととても悲しく、残念に思いました。その上司とは離れたので分かり合うことはないままになってしまったのですが、会社を辞めた今ようやくその言葉がなぜ突き刺さったのかが分かります。
イメージがついていった帰国当時から私に欠けていたもの。それはイメージから作られる「私」のイメージを取りはらった「私」だったんです。残された私は自分が何が好きで、何を大事にしていたのかさえも忘れてしまうくらい、空っぽだったんです。
⚫「『自分』が足りない」とは?
結局のところ、私に足りないのは経歴やスキルなど上辺のものを取り除いた、「自分」。嫌なことでも好きなことでも、私が熱くなれるものは何なのか。どんなことが私を突き動かすのか。それを私自身が理解していない。だから、私が作るお話に人の心は動かない。そういうことだったんだな、と今では理解しています。
前の会社を辞めてからしばらくは何も考えずにぼーっとしてたのですが、その内にかつて好きだった絵を描くようになり、私の「好き」を取り戻していきました。同時に蓋をしてきた自分の「嫌い」という感情にも目を向けるように・・・・。苦しかったけれど、心のもやは晴れていきました。
そして、前の会社時代の通勤電車で何気なく書いていた絵本のお話しをふと思い出してから世界が変わりました。「絵本作家になりたい」そんな気持ちが沸々と湧いてきたのです。私は意識せずとも「自分」を探し始めていたのですね。
今も「『自分』探し」の過程にいるし、もしかしたらこれって一生続くのかもしれない、とさえ思うのですが・・・。この過程で見つけた「自分」の目から見た様々なことを、人に伝え、人の心にひびくことを願い、もっと言えば人を喜ばせたり、楽しい気持ちになってもらえたり、考えたりしてもらえるかもしれない「絵本作家」という仕事は、やはり私がようやく見つけた、私が心の底から熱くなれるものなのだな。
そんなことを思いながら、珈琲をすすりつつ、これからも文字を綴り続けるのだろうな。