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物語の謳い方


久しぶりに彼女の文書を見た


彼女の文章はいつだって世界に向けて伝えてるし、
どんな個人的な話でも、世界に向けていつでも発信できるような言い方をしている。
伝わらない人には伝わらなくていいと。
彼女は自分の世界への覚悟が違う。


そう考えるとは私は目の前の人の感情も読み取るので精一杯だ。
目の前の人を幸せにするので精一杯だ。
これを読む人のことを考えた文章しか書けない。

すごく泣きそうになった。

文章だって、お手紙のような書き方しかできないし、あなたへ向けた貴方への物語しか描けない。
やっと自己紹介代わりの自分の物語を少しずつ描けるようになったくらいだ。


でも、彼女が世界を見てるなら私は彼女の見てない世界をしっかり精査して、しっかり美しい世界を一緒に築き上げればいい。
できるできないでくよくよしてる場合ではない。
少しスピードを上げたい。
そして、できることを広げる方が早い。
足りないところは勉強すればいいし、コツコツやった方がいいらしい。
やだけど。


「後悔したくなった。」という言葉が綴られていて、
後悔しない私たちだが、後悔したくなったという表現は確かに世に伝えるには適切な言葉だと思った。
人間であるからこそ、
その言葉を使うんだなと思ってドキッとした。
そう、後悔はしない。利点がないので。


「私は遊びでもなんでも、帰りたくない、読み終えたくない、というタイミングで無理矢理終えるのが癖だ。」
これも私はほんとに尊敬してる。
もう少しやれば100点取れるのに最後まで勉強しない。読み終えたくない。まではわかる。
帰りたくない。をしっかり帰れるところはいつも助かってる。
ほんとに大好きな人とは一緒にいたいけど、切り上げることの大切さっていうのは、
俗に詠う依存しないための行為なんだと思う。
ほんとにその塩梅が上手である。
愛という言葉を使ってるのにそうならないのが、本物の愛を謳ってきた人なのだろう。
改めて天才である。


最近は誰にも見せない文章しか書いてなかった。
貴方宛しか描けないので、誰宛でもなく自分宛に。
自分宛に書いてて思うが、私は人がいないと成り立たない。
砂漠に一人で佇んでるサボテンではなくてよかったと思う。
砂漠で人に出会う確率はきっと低いだろう。
何も考えなかったと思う。
その中で出逢った人の思考になっていってしまうのだろう。
今はいろんな人に会えていろんな人の本を読んでいろんな人の物語にお邪魔させてもらえてる。
だから、自分の物語が形成されてきてる。
ありがたい。昔は描けなかったから。



ほらほら、物語は続いてますよ。
まず、今日は一緒にどんな日にしますか?

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