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アウトプットとは何ぞや。兼ヲタとは三日坊主のことか。 / 本日のツイート振り返り200526

noteを始めてみることにした。

noteを始めたのはこんなことをいったら「文章を書くのじゃ」とアドバイスをいただいたので、気持ち良くそれに乗ってみることにしたから。

日々ツイ廃として沢山のツイートをしているけれど、なんとなく「アウトプット」している気分にはならないというのは、不思議なもの。

じゃあ1年以上前は何をアウトプットしてつもりだったかかというと、自分にとってはDA PUMP「U.S.A.」やアンジュルム「46億年LOVE」の件がデカかった。皆で楽しく盛り上げようという中で、歌詞分析とか動画とかリミックスとかそれ以外のものとかのとかを無我夢中で作っていた。当時は自分が「アウトプット」してる!という風に思ってたと記憶しているけれども、もしかしたらあれは単に「楽しいことガチャ」で当たりを引いたに過ぎなかったのかもしれない。

個人的に狂乱の2018年が過ぎて、2019年も楽しかったし、2020年もそれなりに楽しいけど、2年も経つと何となく自分が「アウトプット」している(という勘違い?)を求めていることに気づく。

もっと細かく言語化してみよう。ええと、なんと言うか、そういう「ガチャ」を引き当てる中で、必然的に(とあえて書こう)色々と「やらなくちゃいけないこと」(とあえて書こう)が出てきて、その「発明の母」こと「必要」にケツをぶっ叩かれて色々とやっているうちに出来ることが増えていくサイクルが要は「楽しかった」のだな、と。

と言っても自分は「またDA PUMPみたいな大ブームが出来ていく過程に巻き込まれたい」という不遜な考えを述べているわけではなく(アジカン風に言うと「だけどちょっとそれもあるような」かも知れないけど)、あくまでも自分として「必要」と「楽しい」にケツを叩かれていたい、という気持ちなんだろうな。

自分は「逃げ道を作ること」が得意で、「お金を稼ぐこと」(他多数)が不得手なので、「仕事」というフィールドにおいてこの「必要」と「楽しい」を両立させる道を完全に見失ってしまった。ただただ日銭を稼ぐ毎日。キャリアアップとは。
また、困ったことに仕事がつまらなくなるほど、ヲタ活動が充実していったあの2018年の成功(?)体験が私を苦しめるのである。「僕は今立ち止まっている」状態である(セカオワの歌詞だと分かった人は僕と握手)。「ヲタだけど実は凄い職業についてる」とか憧れる。こういうのってヲタ断ちとかすると変わりますかね?とかいう人生相談をしている場合ではない。

言ってて辛くなってきたので少し話を変えよう。ここ最近、実は自分は「兼ヲタ」というのよりも「繰り返し型の三日坊主」といったほうが正確なのではないかという思い持ってる、という話をしてみる。自分が今「好きだ」と思っていることは、これまで「ずっと好きだった」(斉藤和義じゃないよ)というよりかは時に小規模に、時に大規模に「三日坊主」を繰り返してきたものが多いんじゃないかなあ、ということ。

例えば今アホみたいに聴いてる「立川談志」の落語。今回は2ヶ月くらい前からブームが来ているが、思い返すと2010年と2012年頃にも小規模なマイブームになっていて、その時得た知見やその時集めた音源に助けられている。
SMAPだって活動中「おー、新曲出るのねー」くらいのテンションの時だってあったし、小沢健二のアルバムが出なかった去年の狂乱の日々の中で、小沢健二のことを考えていなかった時だって、そりゃある。

兼ヲタってみんなそういうもんじゃね?と言われればそれまでだけれど、たまにツイッターとかでも見かける「複数趣味を持って依存先を分散させよう」(大意)みたいな。そういうのを無意識下で体現していたのかもしれない。ある種、得意の「逃げ道を作ること」である。

ほんでもって、その結果、知識や精神状態とは別に、物理的な問題として、割と自分の小さな部屋に収まりきらないほどの多くの在庫(ヲタグッズ、大半はCDとDVD。そのほかレコードや本・雑誌やTシャツ)を抱えることになっていた。

普段はこういうことからも目を背けがちな人間だが、私は本当に突発的な人間でもあるようで、2019年末に急に「あ、今の年齢で死んだらどうなるんだろう」という思考を軽率に突き詰めた結果、「よし、断捨離だ」となり、「2013年以前に聴き倒したCD/DVD」「SpotifyにないCD」「マジで好きなCD」「好きなレコード」「Tシャツ」を主軸に残し、該当しない多くのものをフリマアプリやブックオフコーポレーションの海に放流した。物量的にはかなり減ったが、棚の見た目があまり変化していないのは、元から棚に詰まっていた量がハンパななったという事だと思う。今は落ち着いているが、もう一段階心の基準を下げれば、更なる放流が可能かも知れない。それを決めるのは私の思いつきである。やろうかな…。

繰り返すこの「三日坊主」。その衝動は嘘みたいだね。きっかけは「世の中の動き」に連動している事が多い。1番分かりやすいのは「新曲発売」とかのタイミング。あとはそれに準ずる動き。GARNET CROWの「20周年企画始動」とか。
そのアーティストが亡くなったタイミングで聴き始めるとかはあんまり好きじゃないけど。

でも全く連動してない思いつきもある。今日も沢山ツイートした「SMAPの全アルバム通し聴きしながら感想を述べよう」などがそれ。(1ついに998年まで来たぞ)

今回の断捨離が一段落して、生き残ったSMAP CD棚を見て、「ああ、前々からSMAPのアルバムをちゃんと聴かないといけないとおもっていたなあ」と感じた次第である。
基本的にはアルバムを通しで全曲聴きながら、知ってることと気付いたことを書いているのだけれど、好きと思い出と気付きが溢れて140文字に収めるの無理!でも140文字くらいじゃないと聴きながら打つの大変だからこれはこれでアリ。というか自分に頼まれた仕事ほど面白いものはない。

あと5年ぶりに「伊丹十三ブーム」が来そうな予感がする。1回目のブームのきっかけは伊集院光なので、当然1番好きな映画は「スーパーの女」(もちろん「マルタイの女」も)だけどまだ見てない映画もある、エッセイも買っただけで読んでないのもある。準備万端だが、ブームが来るか来ないかはしらない。

他にも「何となく気になってたものが突発的に手に入る」ことがトリガーになることもある。そのためのオークションサイトのブックマーク機能である。前々から読みたかった柴田元幸訳のサリンジャー「ナイン・ストーリーズ」がたまたま安価に手に入ったために、サリンジャーの「グラース・サーガ」(「ナイン・ストーリーズ」という短編集に収録されている人物の番外編シリーズ)を読み進めることになった。小沢健二ヲタとしての知的好奇心も満たされ非常に満足度は高い。理解度が高いかは分からないけれど。

こうやって振り返ってみると自分は、思いのほか「楽しい」と「必要」に迫られて、色々なものに自分は常にケツを叩かれているんだなあ、ということに気付いたかもしれない。じゃあ心が求めていた「アウトプット」とはなんぞや、ということに逆戻りしそうになるのだけど。まあ、いいや。脳味噌に浮かんだ文字をnoteに記すのは楽しい。これは新たな三日坊主になりそうである。というか平たく言えば公開セルフカウンセリングだなこりゃ。

そういえば一時期「日記」というものをつけようとしたけれど、全く続かなかった。これは2回目の三日坊主も訪れていない。日々の出来事を克明に記録するのが怖いのかも知れない。
私が怖いのは私、only one。そういえばスマイレージメジャーデビュー10周年の日である。めでたい。アンジュルム新メンバーオーディションはどうなるのだろう。

こんな風につらつらと書いていくことは苦痛じゃない。楽しい。でも構成がなされていないのは気になる。この内容を喋り直したりすれば改善するのだろうか。ああでも喋ってしまうと、これでもかなり我慢している寄り道や小ネタで溢れてしまいそう。

書けば書くほど、普段はツイッターで「140文字以内」に収めようとして、しまい込んでいる言葉や思い達が沢山私の中にいるのだな、ということにも気づく。始めから構成を考えていたら、こういう文章にも、こういう結論にもならなかったかもなー。そして、読まされる方は大変だろうな…。

ああ!今日のツイートを振り返る企画として始めたのに全然振り返ってない!笑

「普段は140文字以内でツイートしておいて、あとからその時のしまい込んだものをここで広げて見せる」場所にしてみようかな。自分の精神状態的にもいいかもしれない。

いや、期せずして今回は自分語りになってしまったけど、本当はもっとTLを荒らさずに「好き勝手小沢健二について話す」みたいなこともしたいよ、note。note is freedom。note is freedom。noteは自由だ-。

疲れた。今回はほぼスマホで打った。次はPC入力でも書いてみたい。口調が変わりそうな気がする。もうこんなに長くは書かないぞ…


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