Mr.ミラーボール
私はこんなところで一体何をしているのかしら。高い天井にはいくつものシャンデリア、フロアを行きかうのは綺麗なドレスやタキシードを纏った人達。しかも、殆どが恋人達だと分かる。
余っているのも見掛けるけれど、大体は既にパートナーを見つけていたり、話の合う者同士でグループになっている。
私?
私はこのパーティーに誘った相手にすっぽかされている。勿論こんな場所に知り合いもいなければ、話しかけに行く勇気もない。そもそもこういうパーティーで女性から話しかけるのは良かったことかも覚えていないから、いわゆる壁の花になっている。でも花というほどの見た目じゃない、普通の一般人だ。
誘ってきたのは同じバイト先の男子。チケットが余っているので何とか捌けさせたかったらしい。嫌だと断ったら「絶対俺も行く」とか何とかせがまれて、チケットを握らされていた。大体こういうことになるとは分かってたけれどね。計画性のあるドタキャンなら会場に入る前に連絡をしてきたらどうなのよ。
周りはこの会場に慣れてるような、気品があったり、美人だったり、会社経営してそうな人もいる。レンタルドレスでメイクを頑張った女子じゃ此処は眩し過ぎる。ただ貰ったチケットや料理やお酒も勿体無いから、壁際で空になったグラスを遊ばせているだけ。大学生には早過ぎた舞台ね。
「お嬢さん、お一人ですか?」
指先から顔を上げると、そこには真っ白なタキシードに身を包んだ男性がいた。思わず口からこぼれる言葉。
「Mr.ミラーボール……」
「私をご存知ですか、光栄です」
彼の頭はシャンデリアの光を乱反射させるミラーボール。女性なら1度は聞く噂の張本人がそこにいた。
知らない女性などいないだろう。どこのパーティー会場にも現れ、一人で寂しく過ごす女性に楽しみを与える。彼にかかれば年齢問わず誰もがプリンセスになる。そんな彼はこう呼ばれている、Mr.ミラーボールと。その当事者が自分になるとは思わなかった。開いた口が塞がらない。
私を見て、彼は笑う。
「面白い反応をしますね、女性は私を見ると喜んで瞳を輝かせてくれますよ」
「ごめんなさい、実際会えるなんて思ってなかったので……」
「実際いるとも思ってなかったんじゃないですか?」
図星だった。噂は噂で、本物などいるはずがないと思っていた。そして彼が相手をするのは、此処で独りぼっちの女性だけ。つまり……
「私、余り者ですか」
「意外と冷静ですね」
「自分の立場は分かってるつもりです」
「なら、この際楽しみましょう! 辛いことも悲しいことも忘れて」
彼が私のグラスにハンカチをかけ、素早く取り除く。そこにはロゼのシャンパンが注がれていた。いきなりの出来事に驚く私に、相手は言葉を続ける。
「お嬢さんのドレスの色が素敵だったので、お揃いにしてみました」
「ふふっ、お上手なんですね」
「本当のことですよ、乾杯していただけますか?」
差し出されたグラスにも同じ色の液体が注がれている。私はこの紳士がすっかり気に入っていた。
「勿論、お願いします」
「では、今宵が貴方の糧になることを」
乾杯。小さく音を立てて、ガラスの縁が触れ合った。お酒を楽しみながらミラーボールは私をエスコートしてくれた。何度も来ている会場のようで、勝手は知っているようだった。
広い会場は堅苦しいだけでなく楽しさも溢れていた。料理のオードブルには豆知識を添えて、来ている面々が誰か教えてくれたり。此処に来なかったら拾えない知識や楽しみ方、始まった頃が嘘みたいに視界に飛び込むものが全部近くで輝いているようだった。
「……で、あっちを見ると……おや」
「ミスター?」
話しかけると、彼は顔の前で人差し指を立てる。指示通りに黙ると、彼が私の手を引いてまた壁際に誘導する。何が始まるのかと思うと、場内のシャンデリアが1つ暗くなり、2つ暗くなり、フロアの真ん中だけが明るくなっていた。
舞台にはオーケストラが指揮者の合図でそれぞれ楽器を構える。それを合図にぞろぞろと灯りの元に人が集まっていく。
「……ダンス?」
「その通り、そろそろ終わりの合図ですよ。最後に1曲を共にして今宵の出来事を胸に収めるのです」
なんともロマンチックな話だ。参加しない人もいるようだから、きっとこのパーティーに一緒にやってきた恋人達の為なのだろう。愛し合っているからこその思い出、少し羨ましい。
「踊りますか?」
「え……はい?」
「そうですね、踊りましょう」
「え、で、でも私ダンス知りませんから! それに踊るのは大体カップルじゃ」
「私を誰か知っていますか?」
「ミ、Mr.ミラーボール」
「そう、私は貴方をプリンセスにする為に一緒にいるんです」
言うが早いか、彼は私を光の下に誘い出す。踊り方を知らない私に、彼は優しく手を添える。
「右手は私の左手に、左は私の肩に回してください」
「だから私は、ステップとか……!」
「大丈夫、私に任せてください。お嬢さんは私に全てを預けて、ゆっくりと右足から出して」
落ち着いて相手の言葉を頭に入れた。それでも不安で仕方ない。誰も見慣れた彼を気にしないが、姿勢すら分からない私は注目される。嫌だ、笑いものになりたくも彼をさせたくもない。俯けば優しい声が降ってきた。
「そういえば、お嬢さんのお名前を教えて頂けませんか?」
「名前?」
顔を上げると、表情の分からないその頭。でも何故か微笑んでいる気がする。
「レベッカ……です」
「いい名前だ」
ゆっくりと曲が始まる。ああ、一歩を踏み出さないと。
「レベッカ、貴方は自信を持って。私は魔法使いですから」
そう言うと、彼はゆっくりとリズムに乗って足を進めた。それからは本当に魔法にかかったようだった。預けた体は自然にリズムを取り、靴は合わせて動く。ドレスで踊って、それが楽しいなんて思ってもみなかった。頬がゆっくり緩んでくる。
私は彼を見つめた。彼もそれに応じて顔をこちらに向けてくれた。ここには二人だけしかいない、なんて少女みたいな錯覚をしそうだ。『彼にかかれば誰もがプリンセスになる』、その意味がやっと分かった気がした。
曲が終わって、動きも止まった。繋いだ右手を離すのは名残惜しかったけれど彼の言う通り、これは今宵だけの出来事だ。胸に思い出として収めるべきこと。
私はゆっくりと手を離し、お辞儀をした。
「今夜は有り難うございました。貴方と出会えて、楽しい一時を過ごせました」
「いえ、こちらこそ」
最後に相応しい、楽しいダンスでしたよ。そう言われて、私は泣きそうになっていた。私に付き合ってくれた彼に、楽しいと言ってもらえた。それが嬉しかった。
「泣かないで、貴方に涙は似合いません。別れはいずれ来るものです。時間は長さよりも、中身の方が大切なのですよ」
「最後まで、気障なんですね」
「それがMr.ミラーボールですから」
彼は最初に見せたハンカチを取り出し、手の平の上で丸めたかと思うと白い薔薇に変化させる。そして、私に差し出した。
「またいつか、どこかで会いましょう」
本当は会わないほうがいいんですけど。
端がピンクがかった柔らかな白。さよならの挨拶をと薔薇から視線を戻すと、目の前には誰もいなかった。
行ってしまったのか。さよならを言わせてくれないのは逆にずるいのではと思うが、いないのであれば仕方ない。
彼はまた別の誰かをプリンセスにしているのだ。それが彼の役目。でも、私はもうパーティーに行けないと思う。
きっと誰かと行っても今日を思い出してしまうし、今日以上のパーティーには出会えない。
誰にで優しいMr.ミラーボール。あの人にもう一度会いたいって人は聞かない。一度だからいいんだと皆は言う。
でも、私は何度でも彼と会いたい。白薔薇を見て気付いた、私はとんでもない人に恋をしたんだと。
誰かをプリンセスにする、ミラーボールの紳士。でも、いつかは私だけをプリンセスにしてくれたら。私だけの王子になってくれたら。
そんなことは叶わないから、私はもうパーティーには行かない。貴方と一緒にいられるならいくらでも行くのに、叶わないから行けない。
でも逢えるなら、今度は私から白薔薇を渡したい。
何も言わないから、もう一度手を取って踊ってほしい。