ペンテコステ派/カリスマ運動の腐敗したルーツと偽教師たち 〜ジョン・アレクサンダー・ダーウィは詐欺師〜 その3
ダーウィの名前はそれほど耳にする機会はないかもしれないが彼こそがペンテコステ/カリスマのプロトタイプといっても過言ではない。
なぜなら、ダーウィから多大な影響を受けたまむしの弟子たちが今の現代のペンテコステ/カリスマ運動を作り出したからである。
引き続きダーウィがクリスチャンではないことを示す事実を述べたい。
・ダーウィとフォロワーの8名がザイオンシティにてダーウィによって精神の病を癒されたと宣言されたミリーローガンという女性がその後、治癒と称して肉体的拷問を受け、適切な食事や衣服をも拒否され、刑事告発されていた
・今日の価値で約1億6000万円をザイオンシティの新居に費やし、中でもエドワード王7世が所持していたテーブルの複製には驚くほど金がかかっていた。その時のコメントが
・ダーウィはザイオンに住むフォロワーに1日10時間の労働を命じていた。しかし、シカゴ労働連合から8時間にすべきと指摘を受けたことに怒り、報復としてフォロワーに1日8時間以上の睡眠を禁止した。もしそれを破るものはダーウィに罰せられた。
・その怒りのゆえに他にもザイオンシティのルールを禁欲的なものし、夫婦間のカジュアルセックスを禁止し、避妊行為は神の掟に反すると宣言、子作りを目的としないセックスをするものは永遠の呪いを受けるとまで言った。そして誰と誰が結婚するかまでもコントロールした。
・ダーウィの娘、エステル・アレン・ダーウィは深刻な火傷を負ったときにダーウィは医学的処置を施すことを拒否、最終的には医師を呼ぶも彼女は帰らぬ人となった
・什一献金を払えなかったことを理由に60人のフォロワーをザイオンシティから追放した
などなどダーウィの生き方からは敬虔さが伺えない。
1903年にダーウィはシカゴに止まらずニューヨークへと進出していくが、大きな失敗に終わる。
・ニューヨークへ向かうダーウィの軍隊の中には松葉杖をつくものもいれば明らかに足を引きずっているものがいた(彼らこそ癒されているはず)
・ダーウィのやり方に嫌悪感を抱いたニューヨーカーたちは暴徒化し、ダーウィを妨害、当社2週間の滞在予定だったが30000人のニューヨーカーに迫られくつかのダーウィのグループはザイオンシティへすぐに帰った
・ダーウィのキャリアは脳卒中により終わりを迎えた。麻痺が残り、その姿にフォロワーたちも驚きを隠せなかった。にも関わらず妻と離婚し、7人の妻をむかえ一夫多妻制のコロニーをメキシコで始めようとしていた。
ダーウィの帝国は終わりを迎えることになるのだが、彼の後釜を狙って多くのハゲタカが集まってくることになる。
このハゲタカの1人がペンテコステ/カリスマ運動では名の知れたジョン・G・レイクである。
彼もまるで偉人のように祀られているが、彼もまた偽りに満ちた偽クリスチャンである。
根が腐敗しているのだから当然である。
彼らは良い実をつけたかのように宣伝されるが、実際はそうではなかった。
次はジョン・G・レイクについて調べていきたい。