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肌色の悩み

 今や肌色は絶滅したと思っていた。甥っ子の友達とかの前で「肌色」とうっかり言おうものなら「違うよ、ペールオレンジやで」と訂正されたことが何度かあったからだ。
 コイチはそんなにアフリカ系っぽくない。肌は茶色いが、髪がストレートなので、むしろインドネシアとかマレーシアの方の子どもに見える。赤ちゃんのときベッドで寝ているコイチを見て、引っ越し業者の兄ちゃんは「めちゃくちゃ日焼けした赤ちゃんですね」と言ったし、2歳の頃ベビーカーに乗せて歩いていたら通りすがりの自転車の爺さんから「おう、ぼっちゃんよく焼けてんな」と勘違いされていた。
 コイチは他の男児にもれず最初の方に覚えたことばが「でんちゃ(電車)」であった。電車を見ては「でんちゃー!で、で、でんちゃー!」と指差ししながら歓声をあげていた。決して親から男の子だから電車のおもちゃをあげようか、みたいな関わりをした覚えは無い、気がするのだが。しかしそうなると自然に電車の本やおもちゃが増えるため、最終的ににわとりか卵かどちらが先か分からなくなる。ともかく、コイチが5歳のときだ。一緒に飛び出す乗り物絵本を読んでいると、電車から降りてくる乗客が飛び出すページがあった。コイチが「かあか、ばあば、ダディ」と指差したダディはスーツを着た日本人(アジア系)みたいな男性だった。いやいや、その後ろにはしっかりダディみたいな黒人男性が描かれていた。さすが最近の絵本。「こっちがダディじゃないの」と聞いても「違う、こっちがいい」と。「え、なんでよ?」と聞き直すと「なんでかあかはダディと結婚したんよ。ぼくも肌色のダディが良かった。肌色のダディと結婚しなおしてよ。みんなと同じ色が良かった。」と言って私を驚かせた。肌色だって。「違うよ、コイチ、肌色はひとつじゃないの。ダディもかあかもコイチもみんなそれぞれ肌色なんだよ。ダディとかあかを混ぜたらコイチみたいな色になるやろ」と言ってみたが「コイチの保育園に茶色い子はぼくだけやもん、いやや」と。
 おりしもプロ野球選手のオコエ選手が自身の経験についてのメッセージを発表したところだった。そのメッセージには5歳の頃一度死んでみんなと同じ肌色に生まれ変わりたいと思った、というようなことが書いてあって、小さな子どもの辛い気持ちに胸が締め付けられた。
 コイチの気持ちがどれくらい深刻なのかはわからなかったけれど、保育園の先生にオコエ選手のメッセージのコピーと、コイチが家で言っていたことを書いて、セサミストリートの絵本と一緒に渡した。セサミストリートの「みんな違ってみんな同じ」は和訳が見つからなかったので、自分で訳してそれを印刷したものを英語の上にはりつけた。先生も、保育園でも読みますねと前向きに受け入れてくれてありがたかった。
 今は当時ほど肌の色について言わないが、それでも「いつだって言われるで」と言っている。確かに、生まれた時から毎日一緒にいるいとこにすら最近まで「なんで茶色なん?」「外国人なん?」と疑問に思われていたくらいだから、会う人会う人に絶対聞かれてしまうのだろう。面倒だろうな。
 母はハーフ(ダブル、ミックスルーツ)ではないから、そのしんどさが本当には分かってあげられない。できない分、アフリカ系日本人の人のエッセイとかSNSをやたら集めて読んでいる。しかし、今書いている人のジェネレーションはコイチよりも10年は上なので、経験してきた差別が直球できつい。ゴリラとかウンコ色と呼ばれ、肌色になるかと思ってと熱湯をかけられたとか、擦られたとか。社会がもう少しアフリカ系日本人に慣れていたらいいなと思うものの、何かあっても家族は絶対味方だと言って強く生きていけるように支えるしかないとも思う。