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エッセイ|環境の呪い

12月、今年は残り1ヵ月をきった。
クリスマスや、年越しなんてイベントで賑わっている中、
大学への準備に私は追われている。
後悔とともに。

私が育った環境

自分が大人に近づくほど、
自分がどんなに恵まれて育ったのか実感することが多くなった。
私は金銭的な理由が元で何か断念した記憶がない。
何一つ不自由なく育ち、それがどんなに幸せなことだったのか、
ようやく最近になって少しわかった気がする。
そしてその環境を提供してくれた父は、
私に見えない努力や苦しみがあったのだろうと感じている。
そして、そんな父は今年定年を迎えた。

根本的な私の課題

私は深夜に一人で考え込むタイプだ。
日中の活動が少ないが故に寝付くまでに時間がかかる。
そして考えた先にある答えはいつも、
『私は生まれるべきではなかった。』
というものだ。
いつになってもどうしてもこうなってしまう。
その答えは他の人が聞いたら間違っていると思うのだろう。
でも心の底から間違っているとは思えないのだ。

環境が私にもたらしたもの

私は褒めてもらうことが大好きだ。
褒めてもらうためだけに、
勉強して、習い事をして、いい子になって。
両親が私にしてほしい事を子供ながらに考えて、
自慢の娘になれるように、ずっと頑張っていた。
学校だってそうだ。
両親があの学校を卒業してほしいのがわかっていた。
私がする選択はいつも両親の考えを汲んで、の選択だった。
私が選ぶ選択肢には、『褒めてもらいたい』という気持ちが奥底にあった。
大学も学歴や知名度が大事な母のウケがいい所を選んだ。
私は両親から離れるために大学に行くことにしたのに、
結局また同じ選び方をした。

そして私の父は定年を迎えたことにより、
年収が大きく下がった。
私が私立の大学に行くことを選んだが故に、
父に支出の面で辛い思いを強いている。
「学費と月10万の仕送りしかできない。」
誰だって、収入より支出が増えるのは辛い事だ。
少なくともこんなに良くしてくれる父に感謝するのが先である。
でも、私の心の中の悪魔が
「こうなることがある程度想像できただろうに。」
「あと4年間なのに。」
「お金出すの渋るぐらいなら、
 最初にお金出したくないって言えばいいのに。」
「私に投資するのが間違いだって気づいたのかも。」
なんて囁く。
父には父なりの思いや考えがあっての事だと、大人の私は言う。
でも、子供の私はどうしても分かりたくないと叫んでいる。

少し話を脱線するが、
最近少子化について目にすることが増えた。
私は日本に住む女性の1人として、子供を産みたくないと思う。
人によってそう考える背景は違うが、
私は自分より辛い思いをさせたくないと思う。
したいことは全部してほしいし、
学校も好きなように好きなところで通ってほしい。
私がそう育ててもらったように、
何ひとつとして不自由なくしてあげたい気持ちが強い。
そしてそのハードルが高い事もわかっている。
その結果として、私は子供をうみたくないと考えてしまう。
それに似たような思考で、
私が選んだ選択により、両親に負担をかけていると自覚している。
私の考える負担の軽減方法は、私がいなくなることなのだ。

母は私を産むつもりがなかった、と言った。
母は私を産む前に流産した、と言った。
高齢出産だった。
父は仕事第一で家に殆どいなかった。
どうでもいい事なのかもしれない。
でも私には簡単に忘れることができない。
産むつもりがないなら、産まないでほしかった。
もし流産せずに私の前に誰か生まれていれば、
私よりきっと優秀で、自慢の子供になれたかもしれない。
両親が育った時代と今は大きく違う。
その差で苦しんだこともある。
しつけは暴力で行われ、
何かやらかせば叩かれたり殴られたりするのは当たり前だった。
暴力はだめだと学校の先生は言っていたのに。
もっと早く私を産んでいれば、
余裕をもって私が大学に入ることができたんじゃないか。
マイナスな気持ちがどんどん私を包み込んでいく。
そして自責の念に駆られ、
私は生まれるべきではなかった、という結論に至る。
私自身が両親の本当の苦労を知らないが故に。

愛着スタイル

話はまた少し逸れるが、
最近SNSで「愛着スタイル」という言葉を目にした。
愛着スタイルとは、恋人や友達など、周囲の人たちとどんな繋がり方を求め、
どんな状態が快適だと感じるか左右する傾向のことらしく、
私もインターネット上ではあるが診断してみた。
恐れ・回避型に当てはまるらしく、詳しく調べてみた。

・「自分は愛される価値があるか、と疑問を持ち、他者から見捨てられるかもしれないという不安が強い。」
それほどでもない…?
・「他者は自分を助けてくれるか、信頼できるか、と疑問を持ち、親密な関わりを避ける回避をする。」
疑問は持たないが助けてもらうことが増えたら、またかよ…と思われる気がして一定の距離を取ったり、相談は人にしない事が多い。
・「相手の反応に敏感で、嫌われるかもしれない、嫌われたくないという不安が強い。」
これは完全一致だ、知らない人であっても敵意や嫌悪を向けられるのは苦手だ。相手の顔や表情もすごく気になる。
・「縛られたくないので人に依存もしない代わりに、人から依存されることを迷惑と感じる。」
これも当てはまっている。依存はされるのもするのも好きではない。

また、恐れ・回避型の長所や短所をまとめているサイトも見てみたが、
やはり当てはまる部分が多く感じた。
リセット症候群がひどい時期があり、
LINEなどのSNSのアカウントを何度も何度も消して作り直していた。
なるほど、このような言葉で自分を表す事ができるのか。
自分自身について言語化できたり、
だからこうだったのか!と伏線回収をする瞬間は、楽しいと感じる。
恐れ・回避型の特徴として、
幼少期に一貫性のない愛情や恐怖を伴う場合に形成される事が多いらしく、
少し心当たりが。
昭和生まれ昭和育ちの両親は、躾は全て暴力であったため、
痛くて怖かったことを覚えている。
なのに、小学校では暴力はいけないと教わる。
子供ながらになぜ両親は許されるのか分からなかった。
私はこれほど恵まれているにも関わらず、
中学生まで両親は自分の事が嫌いであると本気で思っていたバカ娘である。
幼い私には他の家庭と自分の家庭の愛情表現の違いを理解できなかった。

あまり長々と述べては言いたいこともまとまらなくなる。
でも、私は少なくとも今の自分に環境の呪いがかかっていると感じる。
この環境だったからこそ、今の私はいるのだが、
それだけでは足りないほど辛いことがあまりにも多すぎる。
みんな悩んでいるというけれど、
本当に皆私のように毎日苦しい思いをしているのだろうか。
まだまだ知らない事が沢山ある。
大人になるのが怖い。

明日がきっとうまくいくおまじない、toi,toi,toi.

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