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[考察2]キリエのうた

まさか考察がここまで長くなるなんて思いもよりませんでした。もしもこれが全て正しく岩井さんが詰め込んだものなのであれば、詰め込みすぎだろう!?とツッコミたくもなります。(めちゃくちゃおもしろいです)

前回は、以下のような考察をしています。

もうね、時系列だとか順序とか考えられないので、今回も目次を使って気になるものをぜひ読んでみてください。もうなんか、まだ考察したいものがあるので、3までいくんじゃないか!?と思ってます。ここまでくると私が深読みしすぎなのか岩井さんが変態で天才なのかわかりません。(大好き)
では、早速考察いってみましょう!!!


1.希の自己犠牲

希は為す術なく死んでしまったのでしょうか。
津波が来る直前まで、彼女は夏彦と通話をしていました。その時に使っていた携帯電話は現代でもルカが姉の形見として持っています。大切な人(夏彦)と通話する希の姿を見て、大切な人(姉)に言葉を伝えることができるとルカは思っているのかもしれません。
その携帯電話は、何故津波に流されることなくルカが持っているのでしょうか。
ここから推測できることは、希は自分を犠牲にしてルカを助けたということです。
ルカは大きな木の上にいるところを助けられました。自力で木に登ったとも考えられます。しかし、ルカが登れて、尚且つ携帯電話を渡す余裕があったのであれば、希も登れたと思うんです。しかし、希はその後も見つかりませんでした。ルカだけを助け、希は津波に攫われてしまったのではないでしょうか。
そのときに希はルカに携帯電話を託したのではないでしょうか。自分はもう無理かもしれない。けれど、ルカは助けたい。母とも連絡がつかない。自分が死んだらルカは生き延びたとしても、助けてくれる人がいないだろう。きっと、ルカの今後についても津波から逃げながらたくさんたくさん考えたでしょう。
けれど、ひとりだけルカを助けてくれる人がいる。それが、夏彦でした。フィアンセの彼ならばルカを助けてくれるはず。この携帯電話をルカに託せば、夏彦から着信が来て、ルカは夏彦の元へ行けるはずだと。きっとそんな想いを込めて託したのだと思います。
その携帯電話が直接夏彦とルカを繋げることは出来ませんでしたが、紆余曲折ありつつも夏彦はルカを助けました。(夏彦は助けれなかったと嘆きますが、ルカ自身が沢山助けてもらったと言っています。夏彦がどう思っていようと、ルカの気持ちが大切ですよね)
キリスト教では、自己犠牲の精神が愛とされるんだとか。ルカはこのときのことを忘れています。忘れていなければ、ルカは自分のせいで姉が死んだと思ってしまいますよね。忘れていてよかったんだろうなと思ってしまいます。

2.七夕

前回の考察で、夏彦と七夕の考察をしました。
少し進展があったのでお伝えしたいと思います。

旧暦の七夕7月7日を新暦にすると、2023年は8月22日です。
キリエは7月の終わり風琴に声をかけられ、8月半ば警察に声をかけられたとあり、そのまま夏彦と再会します。そして、夏彦は同日に赦しを得ます。
8月半ばとは、二十四節気で考えると立秋以降8/22頃まで。夏彦が赦しを得たのは七夕である可能性は低くないと思っています。
原作ではあの辺、その出来事がいつなのか明記されることが多いこともなにかの意図だと感じました。
また私の考察では、ちょうどこの時期に逸子は目が醒めてマオリに戻ります。七夕の頃は、マオリ族の新年に当たるそうです。新年、心から一から始めようとする方は沢山いらっしゃると思います。逸子もマオリに戻り一から始められるという意味なのかもしれません。

3. 白鳥処女伝説

天女という言葉が原作にも出てきます。
天女が地上に降り立ち、衣を男に取られ、結婚を強いられ、その衣をみつけて天に帰るというものですが、
この天女とは誰のことを言うのでしょうか。
最初はマオリのことだと思っていましたが、原作には一番の逸材はマオリではなく柚子子とあります。映画でも原作でも語られない柚子子のストーリーが、垣間見える気がしてならないのです。

4.青い鳥でありマリア様である

キリエは青い服に着替えてミューズになる。

キリエのうたは白い雪の上をルカとマオリが歩いているシーンから始まり、終わります。
右側前方には鳥のいない鳥かごが見えます。

鳥かごと言えば私は"青い鳥"と言う物語を思い出します。幸せの青い鳥を探してチルチルとミチルは旅に出ますが青い鳥は見つかりません。家に戻ると、そこに青い鳥がいたのです。
幸せは気づかないけれど傍にある。というお話です。この幸せの青い鳥は自分たちのために探すのではないのです。クリスマスの前夜に豪華なディナーを食べているおうちを羨ましく思うほど、貧しいのにも関わらず、訪ねてきた人の幸せのために探しました。そして、その青い鳥をその人に渡すのです。
キリスト教では隣人愛を大切にしています。自分の幸せではなく他人の幸せを願うのです。

チルチルとミチルをマオリに例えるとどうでしょうか。自分の置かれる環境を呪い、上京して幸せを探しているように思えます。イッコからマオリに戻るとそこには、ルカがいます。ルカの存在こそがマオリの幸せなんだと気づくのではないでしょうか。

話は変わりますが、聖母マリアは青い衣を着ていたそうです。ヨーロッパ圏で青は、"純潔・誠実な愛・花嫁の清らかさ"という意味があるそうです。(サムシングブルーと言えばわかりやすいですね)

ルカはマリアなのかもしれないとここにきて考え始めました。
常に他人のためを考えてる子です。
希のために歌い、イッコの身代わりになろうとしたこともありました。
「ルカは俺のことを心配していた」と夏彦は言いました。不思議じゃないですか?血の繋がりのある家族を全員失ってしまったのはルカです。
苦しみや悲しみを天秤にかけることが良いとは思いませんが、でもどう考えても夏彦よりもルカの方が苦しいだろう悲しいだろうと思ってしまいます。絶望を感じるだろうと思ってしまいます。けれど、ルカは自分よりも夏彦のことを心配したのです。ずっと、悔み続けている夏彦のことをずっと心配していたのです。
まるでそれは聖母マリアのように。
夏彦が赦しを得るとき、夏彦を包み微笑むその姿はマリア様のようだと女神のようだと私は思いました。
ルカという名前は、ドイツ語で光をもたらす者という意味があります。
ルカによって夏彦は赦しを得て前に進めます。ルカによってイッコはマオリに戻れます。
ルカの歌声にたくさんの人が感動します。
彼女の存在は、全てを包み込み幸福をもたらします。

だからこそ、きっとルカこそが青い鳥なんだろうと思います。

5.路上主義新宿中央公園フェス

このフェスが開催された2023年11月6日は友引でした。
友呼ぶ日です。マオリは花束を持ってキリエの元に行くと言っています。また、原作では明らかに今までに出てこなかった"誰か"の視点でお話が進みます。
その方は後にキリエの友人になるのではないでしょうか。原作では付き人になったと仰っている方の視点なんだと私は思っています。
ちなみに母倉日でもあるのでフェスをやるのにはもってこいの日でした。(何かをするのに良い日)
そして、災いが友に及ぶ日とされています。
現にルカの友達であるマオリが刺されました。

6.寺石風美の役割

ここまでくると寺石風美の名前にもしっかりと意味があるのだろうと考えてしまいます。

フミは大阪で教師をしており、ルカを保護し夏彦とルカを再会させます。その際に、夏彦から彼が誰にも話したことの無い希と夏彦のここまでの話を打ち明けられました。
誰も知らない、言わば他人のフミにだからこそ打ち明けられたのでしょう。

フミの名前は読み方を変えると"かざみ"と読むことが出来ます。風見鶏のかざみです。
風見鶏と言われる人はどんな人かと言うと、日和見で、長いものに巻かれる人のことです。八方美人に近いと思います。フミは現に同級生の男子児童に悪口を言われたと勘違いし、それを知った女子児童の親や、加害児童とされる親に謝罪させるようフミに指示した教頭に疑問を持ちながらも、それに対して反論するわけでもなく言われるがままに男子児童の保護者の元へ行き、そこでは"そんなに悪いことしたとは思わない"と伝えます。原作ではそのことを教頭に注意されますが、それにもまた反論はしませんでした。

風見鶏は、魔よけの他に罪を気づかせるという意味で飾られるそうです。
夏彦はフミに自分と希の話を言葉にして語ることで、自分の犯した罪の重さに気づくのだと思います。もしも、フミに出会わなければ夏彦は自分の中の罪に気づかないフリをして、悲劇のヒーローのように立ち振る舞ってしまったかもしれません。
「見つからなければいいと思う」から「見つからなくて良かった」と思ってしまったかもしれません。

フミがいたからこそルカと夏彦は再会できたのだし、そのお陰で高校生の時点や現代でルカが夏彦を頼ることができました。そして、風見鶏の役割を持っていることを考えると、フミがいたからこそ、夏彦は償いをし続けられたし、赦しを得ることができました。間違いなく彼女はこのお話でのキーパーソンのひとりだったのです。

7.夏至と冬至

まずは最初に、マオリの過去を振り返りましょう。

2019年
3月 上京
5月 休学しバイト生活
6月 友人の珠緒と同居・越智柚子子と出会う
7月 天衣無縫に誘われる
8月 断るも柚子子と一緒にいることが多くなっていく
9月 珠緒に灰野というかれしができる
10月 うつ病と診断される・灰野にレイプされる・柚子子が灰野に「お灸を据える」と発言・柚子子宅に住み着く
12月 お金を受け取る
その後 一条逸子に改名し天女として生きる

2019年の夏至は6月22日、冬至は12月22日でした。
上記と見比べると、夏至の頃に越智柚子子と出会い、冬至の頃に一条逸子と改名し天女として生きることとなった。のかもしれません。

夏至は太陽の出ている時間がいちばん長い日です。キリスト教では太陽は主のことだとされています。つまりは神の力が1番強い日です。この日を境に日が短くなっていくことから、神の力が弱くなっていくと言われています。
冬至は、夏至の反対で、太陽の出ている時間がいちばん短い日です。そのため、神の力が1番弱まり、草木も枯れる季節のため、死に一番近い日とされています。

柚子子と出会い逸子になるまでの間、マオリにふりかかった出来事は、幸せなものとは思えません。女を売りたくないと言っていたマオリがタダで盗まれてしまったことも、そして、女を売るようになってしまったことも、神の力が弱まっていく半年、彼女は急傾斜を転落していきました。

8.越智柚子子からの気づき

もうここまで来ると深堀しすぎでは、、と思うのですが、お付き合いください。
越智柚子子は何者なんだろう?とずっと探りを入れて、冬至と関係あるのか等考えていたのですが....
越智という苗字は愛媛に多く、柚子の名産は四国に多いそうです。越智柚子子はもしかしたら四国由来の人なのかもしれません。
四国には四国八十八箇所と言い、空海ゆかりのある仏教寺院の礼所があります。

空海は仏の教えを広めた人です。
キリスト教では、主の教えを旅をしながら広めた人のひとりがルカでしたね。

空海は復活すると言われています。
前回、一条逸子は目が醒めて、広澤真緒里に戻ったとお伝えしました。これは、マオリの復活とも言えます。
そして、空海の幼名を真魚(マオ)というそうです。
マオリのマオはここからもきているのかもしれませんね。

(もう私のスマホの検索履歴カオスだよ)


9.秋分の日と憐れみの賛歌

逸子がマオリとして目を醒まし、ルカと再会した日。"長い夜が終わりを迎えつつある時刻"という一文が原作にありました。
ちょうどこの頃は、2023年の9月のことです。
2023年の秋分の日は、9月23日です。
秋の夜長と言われるように夜が長くなってくるのは、秋分の日(9/23頃)から立冬(11/7頃)のことを言います。
間違いなくこの頃が秋分の日又はそれ以降のことだとわかります。

キリスト教では、冬という困難のある季節に打ち勝つ力を授かる為に、その加護を祈るための聖ミカエル祭が秋分の日だと言われています。
また、仏教ではあの世とこの世が繋がりやすいと言われている日です。

キリエは死者たちの安息を祈るレクイエムのように歌うのです。この後更なる困難が待ち受けるマオリへの加護を祈る意味もあったのかもしれません。この時に彼女が歌ったのはやはり、"憐れみの賛歌"でしょう。

10.最後に

まだまだ、考察したいことがたくさん出てきそうで困っています。こんなに盛り沢山に詰め込まれている可能性に気づきませんでした。
考えすぎなのかもしれません。こんな意図ないのかもしれません。けれど、私は今すごく楽しいです。初めてキリエのうたを読んだ時や観た時よりも、キリエのうたが愛おしいと思うのです。
3回目の映画館をどこかで時間を作って行きたいと思います。そしてまた原作を読んでキリエのうたという作品を愛すんだと思います。

2023.10.22

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