人生いろいろ⑫ 青春篇(バイト小噺)
今回は、大学生時代に経験したバイトのラスト、家庭教師について書きます。なぜ最後にしたかというと、別に家庭教師なんてしたくなかったから(笑)。そういうガラじゃないし、だってなんかえらそうじゃないですか、「教師」って。
そんな私がなぜ「家庭教師」を引き受けてしまったのか。これには深~い?理由がありました。
先に書いたように学生時代はスケート漬けの毎日でした。そんな大学三年生の春、当時は主将を務めていましたが、新歓イベントが目白押し。本当に毎日、新入生を滑走会&新歓コンパに勧誘していました。
なのですが、例の親友K、彼が主務を務めていたのですが、どうもやる気が感じられないのです。さすがの私もキレて、「K、やる気あるんか!」と叱責するも彼の足取りは重いまま。
本当にどうしたんだろう、、、と思っていたところ、ある日遂にKが本当に歩けないくらいにびっこを引き始めます。
さすがにこれはおかしいと思って問い質したところ、「実は......」ということで、Kはお尻の病、要は「ぢ」に罹っているとのこと。彼も白状して気が楽になったのか、「後は任せた」的に新歓レースから離脱します。
マネージャーのU(Kと付き合っているとは当時知らなかったのですが......)と私の二人でKを両脇から抱えるように彼の居室まで連れていき、布団を広げて寝かせたらKは90℃向きを変えろと(笑)。そして、そのまま深い眠りに落ちていきました。
新歓の手が足りない、とかそんなことは全然よいのですが、彼は当部のエースですからね。主将としては一日でも早く戦列復帰してもらわないと困るところ。また、主務という懐刀を失うのも厳しい。
ところが結果は最悪の方向に行き、京都市内の病院で診てもらったのですが手術が必要ということで地元広島の名医にかかることになりました。これが随分長くかかって、新歓の時期に我々に露見して夏休みはみんなで見舞いに行きましたから、少なくともその間彼は不在だったんですよね、今考えてみれば。
という訳で、「家庭教師」というのは彼の「ぢ」が治癒するまでのピンチヒッターだった訳です。
まあ行きがかり上引き受けた訳ですが、Kからいろいろ申し送り事項がありまして。
・時給は高くないからね:兄妹2人指導で時給2,500円
・お母さんが駅まで車で迎えに来てくれるけど運転めっちゃこわいからね:いやあ、リアルに怖かったです(笑)
などなど......
まあかく言う私も、初回の講義ときたら。。確かお兄ちゃんが小5、妹が小3だったと思うのですが、二人とも遊びたい盛り。勉強なんかする訳がない(ていうか、そもそも自分がロクに勉強していない(笑))。
よし軌道修正!と、「お母さん、外で運動させてもいいですかね!」と承諾をいただき、二人を連れて近所の公園へ。
お兄ちゃんとはサッカー遊び、妹は一輪車の練習。これが初回の講義です(笑)。
その後もふざけてばかり。長谷川さんというお宅だったのですが、お兄ちゃんは「はへ」、妹は「いも」と名付け、「はへ、勉強しろ!」、「いも、ふざけんな!」と笑いを誘っては、それでも勉強しないので全身くすぐりの刑に処す、なんていつもそんな感じでした。
家庭教師が私になって成績が上下したのかどうかわかりませんが、親御さんから「失格」の烙印はいただきませんでした。が、K復活後は問答無用でスイッチしたので、やはりKのほうが教師としては適格だったのでしょう。
その後、お兄ちゃんは無事大阪の進学校に合格したというところまでは風の噂に聞きました。
そんなこんなで半年間くらいの家庭教師経験。
今でこそ人にあれこれ偉そうに教えるのが割と好きですが、当時はできれば避けたい業種でした。もちろんその後、家庭教師のバイトを探したりすることは一度もありませんでした。
そんな私が親になってこんなに子供達の勉強を手伝うとは過去を思うと本当にビックリですが(苦笑......)
そんな訳で、大学時代のバイト事情は今回で終了です。
次回は、学生時代に最高に入れ込んだ部活、スピードスケートについて書きましょう。1回じゃ終わらない......と思います。ではでは!