「娑婆に出る」vol.7
大半の先輩グループメンバーを左遷された事実。
新しいメンバーが送り込まれてきてその面々について不満な訳ではないものの、「こんな会社に誰がした!」という思いしかない状況。
新事業の結果をわずか1年しか待てないのか!
社長のケツの穴の小ささに強い憤りを覚える毎日でした。
そんなある日、「若手と語る会」のようなものが開催されました。
社長、人事部長Tさんと新事業メンバーから計3名、私もその中のひとりに選ばれました。
とりまとめ役のT人事部長は大変だったでしょうね。社長に対してサシで、言いたいことをほぼ言い切ったから。
もっとトシを食っていたらあっさり異動というレベルだったかと思います。
他の2名だって不満だらけにも関わらず表面上取り繕うのを見て、私だけは「全部言ってやる」と心に決めたのです。
得な性格か損な性格か分かりませんが、器用ではないことだけは事実です。
まあ、そんな胸糞の悪い夜のことはどーでもいいのですが、怒ったり、訴えたりしたところで何かが解決する訳ではありません。
状況を打破するための糸口が掴めない。
どうすればこの会社に任せてもよいという信頼を得られるのか
どうすれば営業と技術が有機的に動けるのか
いつまでG社は我々を見捨てないでいてくれるのだろうか
このグループの組成にそもそもの問題があるのではないか
何か抜本的な対策を打つ必要があるのではないか
その前に自分は今の立場で何をなすべきか
・・・
毎日そんなことを自問自答しましたし、その頃はグループメンバーも同じ思いだったので仕事後にしょっちゅう呑みに出てはクダを巻いていましたね。
そういえば上司の賞与が史上最低額とか減棒とかそんなニュースもあったかと思います。ひどい話です。
信賞必罰というか、「じゃあアンタできんのかよ」と胸倉つかんで言いたいところでした。
できないからデキる社員に任せていると言うのなら、成功した暁にはそれなりの見返りがあるのか。
全部アンタの手柄だろ、だって社長直轄グループですもんねー、という感じでどんどんひねくれていきました。
もうこうなったらささやかな抵抗です。
元R&Dエンジニアとして、いくつかの特許技術を生み出しました。
この分野は複雑高度な技術よりも短期間に確実な成果が得られる技術がウケると1年間で確信したので、非常にシンプルな技術を二つ生み出しました。
これもまだ手垢が付いていないフィールドを埋める形の技術です。2年間の蓄積によりパテントマップは頭の中にできあがっています。
これならプラントメーカーの我々でもうまくハンドリングできます。
技術のオリジンは例のR&Dから実機に結び付いた技術です。作用・機構は違えど、オペレーションはあのときとほぼ同じ。
頭の中でうまくアナロジーが描けたので、基礎試験を積み重ねて効果が出た段階ですかさず特許申請しました。
(ここで営業さんにダーッと宣伝して回ってほしかったのですが。。。)
そして「本丸」の技術については研究所に実証フィールドをつくろうと考えました。
技術開発部時代から仲の良かった研究所の実験グループ長Hさんに相談に乗っていただき、研究所の敷地利用状況・予定を確認し、候補地を絞り込みました。
その辺の諸元を踏まえ試験設備の基本設計を私が行い、それをG社のチーフエンジニアにレビューしてもらう日々が続きました。
設計が完了すれば、予算の捻出と所管官庁への届け出となります(実は一度消防へ相談には行きました)。
この辺りはほぼすべて私の独断で進めていました。
というのも今回メンバー刷新。今勉強を始めた人達と歩調を合わせているうちにまた我々の中から「島流し」が出ると予想したのです。
あの社長は待てない。人を信頼できない。
そんな中、こんな言葉が聞こえてきました。
「いつまでhello!をあんな場所に置いておくんだ。」
社長の言だそうです、確度はわかりませんが、結構な高確度で当たっていると思いました。
今まさにG社への2度目の訪問計画をMさんから受理されたところだった手が震えました。
やってらんねー
ここで退職を決意しました。
相思相愛で入社してから約6年。ここまで育てていただいて謀反を起こすのは、他の誰でもない外様社長の横暴ぶり、人心の掴めなさによるところがすべてでした。
今もそういう性格なので必ずしも「若気の至り」ではないのですが、一度決めたことは必ずやりとげる気質なのです。
言うべきは言う、やるべきはやる
私の視線の先は完全に別の方向へ向かいました。
(続く)
P.S.次回が(ひとまず)最終回の予定です。この先を書くといろいろ面倒くさいことが起きる可能性があるので。
またいつか続きを書ける日が来るとよいですね。隠居後かな? 隠居なんかするつもりないけど(笑)。