「娑婆に出る」vol.5

早くも、社会人生活4年が終了。
よちよち歩きだった私も様々な経験を経て、少しずつ成長カーブを描き始めました。
そして迎えた5年目。新たな転機を迎えました。
この年度は、特定の技術開発テーマを担当するのではなく、「ある業界の動向を調査せよ」という指令が下ったのです。
実はこの前々年あたりから上役のデスクに「X事業について」という怪文書が置いてあるのを見かけた記憶がありました。
そして、前年度からそれらしき動きがスタートしていました。なるほど、この布石だったのか、と気付く訳です。
「こっちが本丸だったか!」
あくまで私が主担当でしたが、この年次にしては珍しく一期上のデキるN先輩をつけてくださいました。
作業方針をN先輩と決め、私が具体的な作業に取り掛かる。そして、節目節目で相談し、あるタイミングでN部長等関係者に報告する。

これはありていに言えば新規事業への参入でしたが、「遅すぎる参入」でもありました。
ただでさえ後発中の後発、しかも本業ではない異業種への挑戦。

そんな中ひとつの事件が起きていました。
M執行役員(「新副部長」等と称していましたが、当時史上最年少の若さで役員まで上がられました)が倒れ、入院という事態。
「X事業」の社内説明も一筋縄ではいかなかったのでしょう。大企業の意志決定は遅い。
ただ、M役員だからこそできる芸当でした。あの眼力で訴えられると「わかった」としか言いようがないのです。そして、残してきた実績は数知れず。
そんなM役員が戦線離脱した訳です。
親しい同期はそれほどショックを受けていませんでしたが、ずっと傍で仕事してきた私にはコトの重大さがよくわかっていました。

実はM役員は「X事業」よりも若干早い動きで別の新事業も動かしていました。同社としてはその事業への参入する2度目のチャレンジ。
1度目は確か20年くらい前、私が入社する随分前の話です。新方式の焼却炉を開発し、日本で数社が寡占する市場へ参入しようと多額の投資に踏み切ったのです。
ただ、このときは焦りがあったのか、時間がなかったのかふたつの大きなミスを犯します。
ひとつはあまりにもジャンプしたスケールアップ。そして、もうひとつは実物とかけ離れた焼却対象での予備試験です。
某自治体と実証試験まで漕ぎつけ新方式のパイロットプラントを建設・運転に入ったらしいのですがうまく稼働する訳がなく、作業員は24時間稼働体制。
夜遅くまで勤務して朝現場に出たら昨夜までなかった配管が手当てしてあったなどという緊急事態を迎えていた模様。
ほどなくこのパイロットプラントは運転を取りやめ、この事業への参入は事実上不可能になりました。
そして当時同社は経営危機に晒され、某社による救済がなければどうなっていたかわかりません。
それが、その後堅実経営により業績を持ち直し、その一方で成長の踊り場で立ち止まり、中堅止まりを余儀なくされていたのはこれによるところが大きいと思います。
そんな中で、同じ事業へ再度チャレンジするという、これには抵抗勢力も多くいたと思います。
「安定している今のままでいいじゃないか」
そういう保守派の役員等も多くいたはずです。そういう方々を説得し、約25億円の投資を実行してC県K市に実証試験炉を建設しました。
過去失敗した際の炉形式の発展形で、欧州から舞い込んできた新たな潮流です。
日本でもこの形式が主流になるという観測が強く、また当社としては過去失敗した際の知見、その後に蓄積した知見が大いに活用できる場面でした。

この機を逃したらもうチャンスはない、一瞬たりとも遅れは許されない!

私も現場に2度ほど視察という形で入りましたが、ぱっと見100~200人程度の方々が現場で忙しそうに作業しておられたように記憶しています。
工程的にはギリギリでしたが、当初の懸念を吹き飛ばすように技術的には行けそうな雰囲気でした。
私が新入社員のときに同じ海外プロジェクトで技術のリーダーを担っていたEさんが現場を案内しながら自信の色を見せていました。

M役員が倒れたのはいつだったでしょう。
そんなこともあり、攻めまくる者の使命と申しますか心労が重なっていたことは疑いなき事実だと思います。
というのも私がアサインされた新事業のほうも前年度のプレ参入が内部でゴタゴタしていたのです。
私が今の年齢になって様々な世界を見てきた結果よくわかるようになったのですが、当時あそこで行われていたことはプラントメーカの発想では難しいものでした。

なぜこんな座組を取るのか、どういう事業モデル、レベニューストリームなのか。
(具体的に書けないのでもどかしいのですが、当時も今も通用する凄い仕掛けだと思います。)

私にはテンでわかりませんでしたが、多くの関係者もピンときていなかったと思います。
そんな中でM役員が不在になり、ちょっとしたカオスに陥ります。
ここまでお膳立てしていただいたからには、とK部長が責任を負う形でまずは技術開発部で事業化の道筋を立てることになった訳です。
これはおそらく例の海外事業に強いMKさん辺りから泣きが入ったのだと思います。
MKさんは前年から既に渦中の人になっていました。M役員が倒れたからといって立ち止まる、引き返す訳には行かなかったのです。
そして私も即座に業界動向調査に入った訳ですが、普通に考えると勝ち目がない。
既に市場を一定割合占有している企業をM&Aするといった荒療治で市場参入するという発想は上層部にはなさそうでした。
同社はテックカンパニーなので、自社技術を最高に活かせる環境を創り、そこから市場へ切り込んでいく。
口で言うと容易そうなのですが、「解」がまったく見当たらないほどに難しい状況でした。
具体的に書けないので回りくどい書き方にどうしてもなってしまいますが、この市場はかなり以前から形成されていたものなのです。
ただ、法整備が遅れていたのと新法から漏れる物質がある模様。そういう情報をキャッチしたうえで「商機あり」というジャッジをしたものです。
従って、かなりの隙間市場、それも開くかどうかわからないマーケットをこじ開けようとする試みなのです。
そしてマーケットオープンとなった瞬間に様々な企業がどっと押し寄せてくることは間違いありません。

どうすれば市場を開けるか?
そしてどうすれば開いた市場をモノにできるか?

この二つの問いがなかなか整理できないまま、あるフェーズに入りました。
要はこの業界は今までの主戦場ではないため、業界の土地勘のあるプレイヤーと組む必要がある、ということです。
それまで同社は創業から長きにわたり海外をはじめとした企業からの技術導入は積極的に行ってきました。
ただ、異業種との業務提携というのは私が知る限り、少なくとも私が入社した以降は皆無でした。
そして、そういった交渉は非常に難しい。
部署が技術開発系だったので、海外企業の技術プレゼンの場に何度か同席させていただいたことがありますが、海千山千であれもこれもバクチを打つ訳にはいかない。
その一方で、「本物」は別の企業に決まってしまう。ここが中堅企業の弱みです。
そのため、欧米の100社を超えるプレイヤーをあるルートを使って徹底的に調べ上げましたが、どこと組めば勝てるのか、その前にそこは組んでくれるのか、という勘所がまったく働きませんでした。
何度も何度も堂々巡りしたので知識だけは相当つきました。
具体的な「勝ち筋」が描けない中、ある仮説を持って2,3社に絞り込んだのが秋口に差し掛かった頃だったかと思います。
筆頭に挙げた企業名を見るとK部長は「なるほど」と得心し、それで上層部まで説明するとおっしゃってくださいました。
レク資料を確かA3×2枚にまとめたはず。それを持ってK部長が2,3回アタックして正式に業務提携候補が決まりました。
そして提携交渉。担当者としてはここは祈るしかありません。

提携成立!

この報告をもらったときは胸が沸き立ちました。
まだ勝負に勝った訳でもなんでもなく、スタートラインに遅まきながら立てる、そういう状況になっただけですが、「一仕事やってのけた」という満足感が胸を占めていました。

そしてK部長から翌年1月に内示をいただきます。来春から新事業グループに移籍です。いよいよ新入社員時代からの技術開発畑から卒業し、事業畑に飛び立つことが決まりました。

なお、業界再編を目論みパイロットスケールの試験を行っていた事業ですが、公的な技術認証を無事得ることができました。
が、政治力に負けました。技術があっても既得権益はなかなか崩せない。強固な営業基盤をどの会社も既に築いているのです。また、長年にわたる信頼関係も構築されています。
徐々に、要素技術売りをするしかないか、そういった悲観論も出てくる始末。

M役員がいなければ何もできない会社じゃ、この先立ち行かない!!

そんな思いを胸に不安と期待が入り混じる中で、新たな戦いの場に身を投じていくことになりました。

(続く)


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