セルフコンパッション(思いやり・優しさ・理解)についてのメモ
自分自身に厳しくし過ぎて疲弊するのは、自分に過剰に期待していて、理想と実務のバランスがとれていない状況なのだと実感した。
自分の理想を他人にも押し付けると、他責や他罰的な発想になりやすい。自責か他責か、それ以外は無関心か、パーソナリティ特性についての研究は多くあるが、ここでは元々の性質という意味ではなく、状況によって現れるものについて私はコメントしたい。
冒頭に紹介した記事の中にでている本は、自責の念が強くなっている人に対して書かれているのだと思う。強烈なパーソナリティの状態の人以外は多くの場合、自覚しづらいうちに自責と他責の間を揺れ動いているし、その中で「無関心」にみえる人を責めてしまうこともある。
合理的な解決策を示されても気持ちの置き所や落し所が見つからず、責任の所在を明らかにすることに注力するだけのような雰囲気も感じたことがある。それで、自分自身と周囲のために、中立だったり中庸を保つ姿勢が現代で重視されているのではないかと思う。
自分の在るが儘や限界を認めることは他人のそれも認めるということ、瞑想を推奨する世の中ってそういうことも目指しているんじゃないかと感じる。
セルフコンパッション(自分への思いやり)については、私の経験を思い返すと「共通の人間性」が特に機能していない場合が多いように感じた。
「他の人もやっているような失敗、このくらいのミス皆やっている」という発想が、『よくあることだから気にするなと、気持ちを切り換える』というプラスの意味だけでなく、他罰的発想の状態の人からは開き直りと受け取られてしまう可能性もある。現代社会で責任の所在をうやむやにする際に使われがちな点が誤解を生んだ結果嫌悪されやすくなっているのではないかということを考えた。(それらの状況がミスを隠蔽するなどの悪循環に繋がっているということ)
『誰にでも起こりうるありがちなミスだから、対策を考えていこう』という方向へシフトしていけば良いが、集団内では、他者への見せしめや風紀のための罰則的な締めつけが強調された文化が残ってきた面もあると感じる。
以上、なんだかただのメモのようになってしまいましたが^^;こちらの記事を見つけられたことは私にとってかなり良かったし、これからも考えていきたいテーマなのでシェアしたいです!
完璧主義自体が全部悪いわけではなく、もともとかなり高い水準を目指して起こる感情ですので、自分への思いやりを持って取り組めば相当に力になるはずです。
↑この一文は特に励みになりました↑目標を達成するために、温かい目線を忘れずに自分の状態を理解することが効果的であるという風に私はとらえました。
自分への思いやりに関して、具体的に自分で出来ることを生活の中でどう活かすかは、自覚と気づいたときにどうすれば自分のバランスを保ちやすいかを試行錯誤していくことだと思います。
↓瞑想について、自分で出来そうなものを選択するのに役立ちそう✨↓こちらもとても参考になりました✨
最後に、自分への思いやりと他人への理解や優しさのバランスについて…
↓こちらに書かれているようなことを真似できる人はなかなかいないと思うけれど、自分を信じて相手も信じる心掛けとしてとても参考になった最近のnoteの記事です↓
🌟Specialでfabulousなオマケ🌟