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恐竜卵屋 9

連載小説 僕の夢?

   十七 父さんがしたかったこと

ぼくは自転車を走らせて、家にもどった。

無言で玄関を開けると、すぐに出てきた母さんは、なにかいいたげな顔をしていたが、ふぅと小さく息を吐き

「夕飯よ」

とひとこと言ったきりキッチンに戻った。ダイニングに入ると、テーブルに用意してあるのは二人分だけ。

「父さんは?」

「電話があって出かけたわ」

母さんと二人っきりだとなんだか話をする雰囲気じゃない。ぼくは食事が終わるとすぐに自分の部屋にもどった。

クローゼットを開けて卵を出す。卵はまだ暖かい。夢がみつかったわけじゃないし、これからみつけようとしないかもしれない。
でも卵の存在が、今のぼくを支えてくれる。

その夜、ぼくは父さんの帰りを待っているうちにいつのまにか眠ってしまっていた。
夜中にふと目を覚まし、時計を見ると長針と短針が2のところで重なっていた。

ひどく喉が渇く。キッチンに行こうと階段のスイッチを押した瞬間、パチッと音をたてて電気が消えた。

電球が切れたんだ。暗闇に中、階段を降り、キッチンに入った。壁をなぞって電器のスイッチを探していると、続き部屋のリビングでモソリと何かが動く気配がした。

「ひっ!」

小さく悲鳴をあげたのと、指先に電器のスイッチが当たったのは同時だった。震える手でスイッチを押す。
パッと輝く照明で一瞬目がくらんだけれど、一、二度瞬きして部屋の中を見ると、ソファに座っていた父さんが眩しそうに目を細めていた。

「父さん?何やってんだ?」

「いや・・・、なんだか眠れなくってな」

「あのさぁ、いくら寝れないからって、明かりもつけずにこんなとこにいるなよ、ドロボウかと思っただろ」

ぼくは冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスに注ぎ、これを父さんの前に置いた。

「ああ、ありがとう」

礼を言ってぼくを見上げた父さんの目は、ひどく窪んでいた。よれよれになったTシャツの首から浮き出た鎖骨が見える。

ぐぅっと胸が痛くなった。

「ごめん」

謝るぼくを父さんは不思議そうに見ていた。

「なにを謝ってるんだ?」

「今日・・・ひどいこと言ったから」

「おまえに言われたこと、ずっと考えてたよ」

「ごめん」

ぼくはもう一度謝ると、父さんは首を振った。

「裕也、ちょっと座らないか?」

断ることもできず隣に座わると、父さんは少しの間なにも言わなかった。

しばらくして唐突に聞いてきた。

「裕也は愛媛のミカン畑を覚えているか」

「じいちゃんのところだろ?」

父さんはうなずいた。

「じいちゃんちの周りは、ずっとみかん畑だっただろ?父さんさ、こどもの頃はミカンの木しかないそんな田舎が嫌でな、高校卒業と同時にこっちに出てきたんだ。
それからずっと街に住んでいて田舎のことなんか全然頭にうかばなかった。けどな、会社が潰れて給料はなくなったけれど、それまでとはちがって時間だけは十分とれるようになっただろ。
そうしたら、どうしてかしょっちゅう思い出すんだよ。山中が甘い香りに満ちる花の頃や、みかんを採る時のあのパチンパチンっていう剪定ばさみの音なんかをな」

父さんは記憶を呼び戻すかのように、ここではないどこか遠くを見ていた。

「裕也が生まれる前に母さんの両親はなくなったから知らないかもしれないけど、母さんもな愛媛出身だったんだぞ。それも父さんと同じミカン農家。始めて会ったときは、こんな都会でそんな人と会えてビックリしたけどな」

こんなうれしそうな顔をして話す父さんを見るのは、久しぶりだ。
この時ふと、父さんは愛媛に帰りたいんじゃないのか?と思ったんだ。
目じりにまだ笑いが残っている父さんの顔を見る。きっとそうだ。

「父さん・・・愛媛に帰りたいのか?」

ぼくのことばに父さんは、一瞬泣きそうな顔をしたけれど、すぐに首を横にふった。

嘘だ、帰りたいんだろ?だったら帰ろう、ぼくは今、こう言ってあげるべきだ。
でも・・・なぜか口に出さなかった。片桐と話をして少しはもやもやが取れたとはいえ、まだ父さんに助言なんてできるわけがない。

こんな自分がもどかしくって、悲しくってなんだかこの場にいるのがいたたまれなくなった。

「もう寝るから」
「ああ、おやすみ」

父さんは、さよならというかのように手を振った。



  十八 卵は待っていてくれる

翌朝、着替えを入れたスポーツバックを持って一階に降りていくと、キッチンで朝食の用意をしていた母さんが、ぼくを見て聞いた。

「今日も行くの?」

「まだやりたいことがあるんだ」

「父さんは裕也を信じて何も言うなっていったけど、これだけは教えて。裕也が毎日行っている所は、本当に変な場所じゃないのね?」

「絶対に違う」

「そう」

「もう行くから」

「今日も帰りは五時頃?」

「ああ」

「母さんは今日残業を頼まれたから、帰りが少し遅くなるからね」

「わかった」

家を出て、義広の家まで自転車を走らせた。義広のところにも塾から連絡があったはずだ。
あいつはもう修行に来られないかもしれないなと思っていたぼくの推測に反して、シャッターが降りたスーパーHARAの前に義広は立っていた。

「よう、おまえ、よく来れたな」

そう言った義広の右頬が、少し腫れていた。

「それ・・・」

「ああ、おやじに殴られた。なあ遅れるから話はチャリでしようぜ」

自転車を走らせるぼくの後ろで義広は、塾をさぼってることがばれて有無も言わさず殴られた。で、さぼりの理由を聞かれたけれど答えなかったのでまた殴られた。そしてさぼるんだったら、もう塾に行くなと言われたから、これ幸いにやめることにしたと話してくれた。

「うちのおやじ、自分が中卒で学歴がなくって苦労したから、おまえはちゃんと大学まで行けって言うんだぜ。それってなんか違うって言ったら、また殴るんだ。あのイカレ親父、力で子供をねじ伏せるなっていうの。ほんと腹立つって。で、おまえは何て言われたんだ?」

ぼくは義広に昨日のいきさつを話した。

「ふーん、いつも考えすぎて黙っちゃうおまえにしては、よく言ったじゃん」

じいさんちにつくと、草取り三点セットをつけていつものように草取りを始めた。
裏庭の草とりを二日前に終わったぼくらは、昨日からはじいさんと一緒に座敷前の草を抜いている。といってもここに残っている草もあとわずかだった。
ぼく、義広、そしてじいさんはもくもくと草取りにはげむ。そして、ついに
義広が叫んだ。

「よーし、終った」

「冷えたスイカを持っていくから、顔を洗って縁側にまわれ」

ぼくらが縁側に座って待っていると、じいさんはお盆に三角形に切ったスイカを山ほど乗せて持ってきた。

じいさんが出してくれたスイカは、めちゃくちゃ甘く、ぼくと義広はこれ以上ムリというほど腹いっぱい食べた。

「おまえ達、ここに来て何日になる?」

じいさんもスイカをかじりながら聞いてきた。

「えーと、今日で十九日目かな」

「もうそんなになるのか?で、修業の成果はぼちぼち現れたか?」

「なんつーか、ここらへんまできてるから、もうひと押しってとこかな」

義広が、自分の喉元を指した。

「まぁ焦らんことだ。人にはそれぞれ時期があるからな」

人それぞれの時期?

「あの・・・聞きたいことがあるんだけど・・・」

「聞きたいこと?なんだ?」

「ぼくは・・・恐竜の卵を孵す目的もなくなって、自分がどうしたいのかもわからなくなって、でも、なんか答えが欲しくて、もがいてもがいて・・・親にもひどいことを言って・・・でも答えは見つからないし、いつ見つかるのかもわからないんだ。こんな・・・こんなぼくのことを卵は待っていてくれるのか?」

「卵を孵したいのか?」

ぼくはうなずいた。

「そうか」

じいさんは、ゆっくりと話し始めた。

「人によってはな、まだちいさな子供の頃にさっさと夢を見つけて、簡単に自分の道を歩いていく奴がいる。その反対に、いい年になってようやく夢を見つけたものの、その先もあっちにぶつかりこっちにぶつかりして不器用に進んでいく奴もいる。
みんながみんな速く行く必要なんてない。おまえは、おまえのスピードで夢を見つければいいんだ。
卵はな、それまでおまえがくるのをちゃーんと待っていてくれる」

「ぼくのスピード?」

「ああ、他の奴が早く夢を見つけようが遅く見つけようが、おまえには関係ないだろ」

胸がドキドキしてきた。ぼくは震える手を硬く握り締める。

「じいさんは遅咲きだったのか?」

義広の言葉にじいさんは大きくうなずいた。

「わしは三十四の時だった。不器用な生き方しかできんから、夢もすぐに見つからなかった。そこらへんはおまえ達と似てるな」

「天使のおっさんに会ったのが三十四のとき?」

「ああ。あの天使とは、もう四十年のつき合いだ」

「天使のおっさんってさぁ、じいさんには、どんなアドバイスをしたんだ?」

「うーん、役に立つようなアドバイスはなかったな。たしか、いつもがんばってくださいの一言で終わったような気がする」

 なんだよ、天使のおっさん、四十年たっても全然進歩ないじゃん。

「じゃあさ、じいさんは、どうやって夢を見つけたんだ?」

義広は、興味津々という顔で聞いた。

「いろいろ試しながら右往左往したが、確かなことはな、ここがザワザワしていたら何も聞こえないってことだ」

じいさんの細長い指が、ぼくの胸を指さしている。

「周りの声に惑わされるな。自分の声だけを聞け」

「自分の声だけを聞けって言われても、それってなかなか難しんだよな。外野がいろいろうるさいしさぁ・・・。あーわかった」

義広が、突然大声をあげた。

「だからじいさんは、座敷でただぼーっとしているなんて変な修行をさせたんだな」

「ああ、そうだ。何もすることがなくぼーっとしていると、否が応でも自分の中からいろんな思いが湧き出てくるだろ?
その中にはクソみたいなものもある。まぁほとんどその部類だけど、そんな中にも小さくてもキラッと光るものがかくれている。それに気がつくことが大事なんだ」

「じゃあさ、草とりはどんな意味があるんだ?」

ぼくが聞くと、じいさんはアハハハッと大声で笑い出した。

「あれか?あれは修行代だ。まぁ現金をもらおうとはと思わんが、その代わりに草とりや片づけくらいしてもらわんとな」

じいさん、しっかりしてるよ。

「そうだ、じいさんも夢を叶えたんだよな?」

また義広が叫び、じいさんに詰め寄った。

「ああ、そうだ」

「だったら、卵は孵ったんだよな?恐竜でてきたか?」

じいさんの目が一瞬点になり、そのあとすぐにまたアーハハハッと大笑いし始めた。
「なんだよ、なんで笑うんだ?やっぱり恐竜が出てこないのか?」

「ちがうちがう。夢をかなえれば恐竜はちゃんと出てくるから、そんなにがっかりするな」

「マジ?」

「ああ。だがな、鶏の卵から雛が孵るような形じゃないがな」

「じゃあ、どういう形で孵るんだ?」

「まあそれは自分で経験しないとな」

「なんだよ、それってさ、本物の恐竜は出てこないみたいじゃんか。あーやばい。あの卵、金のなる木じゃなかったんだー」

義広は、すっかりしおれてしまった。

「わからんぞ。意外とおまえの言う金になるかもしれんしな。なんにせよ卵を孵すことだ」

このじいさんの一言で、義広はカンフル剤を打ったように一気に立ち直った。

「よっしゃぁー」

なにがよっしゃぁーだよ、ほんとげんきんな奴。

「でもさぁ、オレたちがさっさと夢を見つけないと、あの天使のおっさんが困るんだよな?えーと・・・」

義広は指をおって日にちを数えていた。

「締め切りまであとあと十日だし・・・」

「ふむ、こういうのは、それぞれの時期が大切なんだが、あの天使、ちょっとあせっているみたいだからな・・・、でもまぁなるようになるだろ」

「あのさ・・・」

じいさんが、声をかけたぼくを見た。

「夢の卵って、いくつのなっても見つけられるのかな?」

じいさんは力強くうなずいた。

「ああ、いくつになってもな」

いくつになっても・・・、父さん、父さんだって夢の卵を見つけられるんだぞ。

じいさんちを出て、義広と別れてから、気持ちが少し楽になってきたぼくは口笛をふきながら自転車を走らせた。

家に着き玄関を開けると、そこにはいつも父さんが仕事に履いていく靴があった。
あれっ?と思ったけれど、気にせずそのままキッチンに入り、冷蔵庫から出したアイスをソファに寝転びながらゆっくりと食べた。
アイスを食べ終え、ディバックの中から汗まみれのシャツを出して洗面所まで持っていこうとした時、トイレの戸が半開きになっているのに気がついた。そしてわずかに開いたその隙間から足が出ていることに。

足?

ドクッドクッと心臓が早打ちし始めた。息をつめ、そっと戸を開けると・・・、便器にもたれるようにして父さんが倒れていた。

「父さん!」

父さん!どうしちゃったんだよ?なにがあったんだよ?

抱き起こしてみると、顔が蒼白だった。

どうしよう?どうしよう?どうしよう?頭の中がパニックになった。
誰か・・・ぼくはディバックの中からスマホを出す。
はやく、はやく出てくれ。

『なんだよー?』

義広の声が響いてきた。

『義広、父さんが・・・、父さんが・・・』

『父さん?おい、どうしたんだ?何があったんだよ?』
『倒れてる!』

『倒れてる?救急車呼んだか?』

 救急車?

『呼んでないんだな?バカ!すぐしろ、オレ、今からそっちに行くから』

スマホが切れた。

そうだ、救急車だ。それからすぐに119番したことだけは覚えている。けれどもそのあとのことは、断片的にしか記憶になかった。
だんだん近づいてくる救急車のサイレンの音。救急車に乗り込む時、ぼくの手をぎゅっと握ってくれた義広の手のぬくもり。病院で泣き崩れた母さんの背中。

父さんは心筋梗塞で死んだ。人ってこんなに簡単に死んじゃうんだ・・・。
昨日の夜、ソファで手をふった父さんの顔が浮かんでくる。

慌しく進む葬儀の準備。ぼくはずっと父さんの棺の横に座っていた。

胸がひりひりするくらい苦しいのに涙が一滴もでない。

笑っている父さんの写真、顔をくちゃくちゃにして泣いてる愛媛のじいちゃん。真夏なのに寒々としている火葬場。何を見ても、どこにいても、涙がでてこない。こんなに悲しいのにどうしてなんだ?

葬儀が終わると、周りにいた人たちは潮が引いたようにいなくなり、愛媛のじいちゃんも夏のこの時期は長い間畑をあけていられないということで一旦愛媛に帰っていった。

家には、ぼくと母さんだけが取り残された。
斎場から帰ってきてから、母さんは放心したように父さんの写真を見続けている。

ぼくは、こんな母さんを見ているのがつらくなり二階の部屋に戻り、部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた。すると、バァーッっと強い風が吹き込んできた。

この風で足元に落ちてきたカレンダーには、八月十三日、タイムリミットの日が大きな丸で囲んであった。

卵も、夢も、もうずっと遠くにある。



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