恐竜卵屋 その11
連載小説 ぼくの夢?
二十 引っ越し
愛媛に行くと決めたものの、その前に片づけておかなければいけないことが山ほど残っていた。
まず相続関係の書類、ぼくの学校の転校手続き、そして家は売ることに決めたので不動産会社への売買以来等々。愛媛のじいちゃんは、ぼくらが来る前に風呂を直すと言って早々に帰ってしまったし、
ぼくは何の役にも立たない。ひとりあたふたしている母さんを見かねてか、それとも自分が愛媛に行くべきだといった手前か、菊田のじいさんが手際よく事務処理をしていってくれた。
義広には二学期から愛媛の学校に転校すること、そして心配してくれたのにひどいことを言ってゴメンとラインすると、こいつは十分もしないうちにぼくの前に現れた。
「なんだよ、あのライン?」
「なんだよって、読んだだろ?」
「読んだけど、あれマジなのか?」
「転校のこと?マジだよ」
義広は、その場にヘナヘナとしゃがみこんだ。
「なんでだよ?なんで愛媛なんだ?」
「言ってなかったっけ?愛媛にじいちゃんがいるって」
「知ってるけど・・・」
「じいちゃんちさ、ミカン作ってるんだぜ。冬になったら、おまえにうまいみかんを送ってやるよ」
義広は、うつむいたままあきらめきれないようなため息をついた。
「オレ、おまえとずっと一緒にバスケやったり、バカ言ったりできると思ってたんだぞ」
「バスケはできないけど、ラインでバカ言えるじゃんか」
「もう決まったんだよな?」
「ああ」
「そうか・・・」
義広は顔を上げ、クローゼットを見ながら消えそうな声で言った。
「天使のおっさん、どうしてるかなぁ・・・」
「あのあとどうしたんだ?」
「あのあと?」
「ぼくが卵を返したあと・・・」
「おまえが家の中に入ったあと、オレ、また空き地にもどったんだ。けど、そのときはもう天使のおっさんはいなかった」
「悪いことしたよなぁ・・・」
天使のおっさんに出会わなければ、ぼくは真面目に夢を考える機会を失い、ただ淡々と時間だけを消化していったかもしれない。そして父さんが生きていた意味、ぼくが生きていく意味なんて考えもせずに・・・。
ほんの少しの沈黙の後、義広はきっぱりとした口調で言った。
「オレ、見つけるって。夢をさ」
うんと、ぼくもすぐに相槌をうった。
「あてはあるのか?」
「まあな」
そう言って義広は、やたらでかい口の両端をあげてにやりと笑った。
この顔を、ぼくは今まで何十回も見てきた。神社の松の木でカラスの巣を見つけた時、フリースローが決まった時、こいつはいつもこんな顔をしたんだよな。
「オレさぁ、やっぱり金が好きなんだよなぁ」
「そんなの前から知ってるって」
「まあね。でもな、じいさんのところで修行してマジ思ったんだ。オレには金だって。だから、もっと金を極めようと思った。で、これから金が動く仕組みっていうか、資金運用っていうのをもっと勉強する。でさ、親父のしけた店をバーンと立て直してやるって」
義広は顔中、口だらけって感じで笑ってる。
「それビンゴ」
「だろ?裕也はどうなんだ?」
ぼくは肩をすくめた。
「おまえにも見つかるって」
「ああ、時間がかかるかもしれないけどね」
「だいたい裕也は考えすぎなんだって。で動けなくなっちゃうだろ?これからは、オレは一緒にいてやれないんだからな」
「わかってるって。一人でも大丈夫だから」
こう言おうとしたけれど、いつも横にいるこいつがいなくなると思うと声がつまってしまった。
「チェッ、本当におまえはしょうがねぇなぁ・・・」
そう言ってプイッと横をむいた義広の声もかすれていた。
二一 卵は待っていてくれる
八月二五日。愛媛に出発の日。
午後一時、引っ越しのトラックが家の前に止まり荷物が次々と運び出されていく。
義広や菊田のじいさんは引っ越しの手伝いに来ると言ってくれたけれど、もう一度義広の顔を見たら泣いてしまいそうだったので、ぼくは断った。
引っ越し作業は手際よく進み、三時間もすると山のような荷物が全てなくなり、家の中に残っているのは母さんの小さなスーツケースとぼくのスポーツバックだけになった。
ぼくらは最終の新幹線で大阪まで行き、そこからフェリーで四国まで行くことになる。
ぼくはガランとした部屋の中で、近所に最後の挨拶に出かけた母さんの帰りを待っていた。
いつのまにか日が暮れるのが早くなり、外はもう薄暗くなり始めている。
ぼんやりと外を眺めているぼくの姿が窓ガラスに映り、重なるようにもう一つの姿が・・・。
「・・・えっ?」
ふり向くと、エプロンをはずした天使のおっさんが立っている。
不意打ちをくらったぼくは、言わなければいけないことがたくさんあったのに、何も言えなかった。
言葉が出ず、その場に無言で立ちつくすぼくの手を、天使のおっさんがそっと握ってくれた。
「・・・ごめん」
ようやくこのひと言が言えた。
「いいえ、謝らなくてはいけないのは、わたしの方です」
「どうして?悪いのは、途中で夢を放り出したぼくなんだぞ」
天使のおっさんは、小さく頭をふった。
「わたし・・・いつからこんな見栄っ張りになっちゃたんでしょうねぇ?」
「えっ?」
「ほかの天使と自分はちがうってところを見せたいために、あんな大げさなことをしたりして・・・、いつのまにか人間を幸せにするっていう大切な使命を忘れてしまって・・・、これじゃあ天使を降格されてもしかたないです」
「そんなことないって。父さんが死んだ時は、夢なんていらないって思ったけど、今はおっさんに会えてよかったと思ってる。うん、これはぼくの正直な気持ちなんだ」
天使のおっさんが、嬉しそうに微笑んだ。
「といってもさ、まだ自分の夢がわからないし、それに、これがいつ見つかるかもわからないけど・・・」
でも、これだけは言っておきたい。
「ぼくは、やっぱり夢を見つけたい」
天使のおっさんがふーっと深く息を吐いてから、ぼくにむかって頭を下げた。
「ありがとうございます」
「なんだよ、そんなのやめろって」
礼を言わなくていけないのは、ぼくの方なんだ。それなのに、ぼくはまだ言ってなかった。
「あの・・」
「えっと・・・」
ぼくとおっさんが同時に口を開いた。
「あ、ごめん、なに?」
「目には見えないのですが、卵は坊ちゃんの夢を待っていますよ」
ぼくの夢を?卵が?菊田のじいさんも同じことを言ってくれた、卵は待っていてくれるって。
「待ってます」
畳み込むようにおっさんが言った。
ぼくは、クイッと顔を持ち上げおっさんを見た。
「ぼくは・・ぼくは優柔不断で、考えすぎて・・・、すぐにくじけて・・・、また夢なんてくそくらえだ、と思うかもしれない」
「それでも待っていてくれます」
「今は夢を見つけたいと思っていても、これから先、夢を見つけることなんて忘れちゃうかもしれない・・」
「それでも待っていてくれます。坊ちゃん、卵がなくても、姿が見えなくっても、私たち天使はね、いつも人間のすぐ近くにいるんですよ。そして心震わせている時、挫けそうになった時、気づきが必要な時にそーっと手をそえているのです。今までも・・・そしてこれからも・・・」
ぼくの手から天使のおっさんの手が離れた。
「もう・・さようなら?」
微笑みながらうなずいた天使のおっさんは、ぼくの前に小さな紙切れをさしだしてきた。
「これ、なに?」
紙切れを受け取り、開いてみると中にはメールアドレスが書いてあった。
「これ誰の・・」
と言いかけて気づいた。もしかして・・。
「片桐?」
片桐、父さんの葬式に来てくれたよな。
「あの子は、待っていますよ。坊ちゃんから連絡が来るのをね」
ぼくは首筋が赤くなっていくのを感じた。
「わたしも、卵も、坊ちゃんの夢を待っていますよ」
天使のおっさんの姿が透きとおっていく。
「みんな待っていますよ」
ぼくの耳に天使のおっさんの声だけが残った。
::::::
愛媛にきてから一年が過ぎようとしている。
ぼくは、まだ夢を見つけていない。
これから先、また壁にぶつかったり、遠回りするかもしれない。でも、何気なく開いた雑誌の中から、テレビから流れてくる歌の中から、ぼくは天使を感じることができるんだ。
「いつまでも待っていますよ」
天使のおっさんの声は、今もまだぼくの耳に響いている。
完