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父親はどこへ....?映画『違国日記』の切り取り方

駆け込みで映画『違国日記』を観た。
ピッコマで漫画を読んですごく良くて、でも読み終わっていないまま、映画の上映が終わりかけたので慌てて観に行った。140分、長い....。でも漫画の長さからすると、相当、はしょるとわかってた。

でも、でもさ、本当に個人の感想として、「こういうことなんだっけ?」って。わたしが漫画に吸い寄せられたのは、一体なんでだっけ?『違国日記』ってそもそもなんの物語なんだっけ....とても迷子。

帰り道に考えてわかったのが、お父さんのストーリーがないってこと。親に愛されていたのか?という開けてはならない怖さを持つ箱と向き合う怖さの葛藤がないってことなのかも。

朝ちゃん、槙生ちゃん、笠町くん、奈々ちゃん。誰の父親も触れられない。槙生ちゃんのお父さんが10年前に亡くなったと一言会話に出るくらい。空気のようなお父さんの存在に気づいて、愛されていなかったのではないかと地面がぐらつくあの感じ、1ミリも出てこない。
まるごとなきものにされている。それがとても引っかかったのかも、私は。

父が亡くなった直後に読んだ漫画で、家族の愛とか呪縛とか、生きるとはどういうことかとか、ぐらぐらぐらぐらしたまさにその渦中でシンクロしたからこそ、映画にシンクロできずに戸惑ったのかなぁ。

映画は映画として、どのテーマを切り取ったのかなって改めて捉えればいいのかもしれない。
また、私が映画として短くエッセンスをまとめるなら、どのシーンを、どんなコンテクストでまとめるんだろう?そう考えるのも、きっと面白い。


そして漫画を最後まで読んだ。いい、やっぱり漫画がいい。これはしばらく読み返しそうだ。

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